老楼快悔 第80話 「エール」の中の伊藤久男さん
NHKの朝ドラ「エール」を見ながら、思い出したのが歌手の伊藤久男さん。私が駆け出し新聞記者時代に出会った人である。
新聞社に入社してすぐ、帯広支社勤務になった。新聞には「地方版」があり、「帯広十勝版」で連載企画「平原サロン」というのを始めた。帯広を訪れた著名人にインタビューするもの。おそるおそる手を上げて何人かの著名人に取材する幸運に恵まれた。
伊藤久男さんと会ったのは昭和三十(1955)年秋、帯広劇場の公演前。楽屋を訪ねたら笑顔で迎えてくれた。名刺を手渡し挨拶すると、「伊藤久男です」とあの男性的な声で丁寧に応答してから、「北海道はいいねぇ」と述べた。嬉しくなって「はい」と答えたら、いきなり、軽く、うーうーうーと曲を口ずさんだのだ。
すぐわかった。菊田一夫作詞、古関裕而作曲の「イヨマンテの夜」だった。
「その歌、きょう、歌うのですね」
と言ったら、
「ええ。北海道の匂いのこもった歌です。心を込めて歌います」
きれいな口調で答えた。落ち着いた大人の風格とでもいおうか。何物にも動じない感じに、新人記者は圧倒されながらも爽快な気分にさせられた。
開演時間が近づき、二階の一番後ろの席に座り、その歌声を聞いた。
アーホイヨー アーイヨマンテ 熊祭り
燃えろかがり火 ああ 満月よ
今宵熊祭り 踊ろう メノコよー
ただ、うっとりと聞きほれていた。
この歌、NHKの連続ラジオドラマ「鐘のなる丘」で、劇中の伊藤がハモンド・オルガンの伴奏でハミングで歌ったのを古関裕而が気に入り、菊田一夫に詩を作ってもらったものという。
熊祭りそのものは、動物保護の立場から途絶えたが、少年時代に一度だけ故郷の上砂川で見たことがあり、私にとっては郷愁のようなものを感じる作品だった。
以後、伊藤さんは「オロチョンの火祭り」「あゝ青函連絡船」「ノサップ岬に立ちて」「摩周の湖」と“北海道もの”を矢継ぎ早にヒットさせた。テレビドラマの伊藤さんを見ながら、はるけき遠い日を思い出している。
2020年11月20日
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