老楼快悔 第74話 “水の神”と”乳の神”
旅路にまつわる話を一つ、二つ。留萌から国道231号を南下して、暑寒別川を越えると、増毛町の古茶内集落に着く。ここに古茶内稲荷神社という古びた神社があり、その境内に「水神」と刻まれた石がひっそりと鎮座している。
石の背後に「嘉永二年庚戌五月 □本庄七」と刻まれている。(□は読めず)これが「オンネの枯れずの井戸」の旧跡で、多くの人々を救った物語の石だという。
昔、日照りが続いて、川の水まで干せ上がり、人間も獣も生きていけなくなった。オンネ古茶内の庄七さんは、みんなで井戸を掘って飲み水を汲もうと呼びかけ、和人もアイヌ人も一緒になって井戸を掘った。だが三日三晩掘り続けも水は出てこなかった。
翌朝、庄七さんの姿が見えなくなった。人々は探しあぐねて掘り続けた井戸へ行ってみると、井戸の底深くに人間の形をした石が見えた。驚いて十メートルもの底まで降りていき、その石を力いっぱい動かすと、ポコンという音とともにそこから水が溢れだした。みんなは喜び、夢中になって水を飲んだ。
人々は情け深い庄吉さんが、自分の身を神に捧げて水を得たのだと語り合い、その石を「水神」として祭った。以来、この井戸だけはどんな日照りでも水が溢れるという。
話をもう一つ。函館から国道228号を南下すると知内町に至る。この地に姥杉神社と呼ばれる小さな社が建っている。その背後に大きな杉の古木がそびえ、下部に乳房を思わす大きな瘤が見える。これが「お乳の神」の由来となったという。
昔は赤子を授かっても、乳が出なければ育てられなかった。この地の若い母親はせっかく赤子を生んだのに、乳が出ない。思い余って杉の二つの瘤に米を供え、「どうぞ乳が出ますように。わが子が育ちますように」と熱心に祈った。
帰宅すると不思議なことに急に乳房がはり、乳が出だした。わが子は乳房に吸いつき、乳を飲んだ。
この話はあっという間に広がり、以来、乳に恵まれない母親は、乳房のかたちの布袋二つに米を入れて姥杉に参り、供えた米袋のうち一つだけ持ち帰り、粥を炊いて食べると、必ず乳に恵まれるといわれるようになった。
ずいぶん前の話だが、同神社の神職から聞いた話を紹介したい。
昭和初め、この町の重内という集落で、嫁が赤子を生んだが、産後の肥立ちが悪く亡くなった。嫁の母親は赤子を抱いて姥杉に米を供えて、「この婆に乳を授けてくだされ」と祈ったところ、何日かして乳房がはり、乳が出た。お陰で赤子はすくすく育ち、立派な若者に成長したというのである。
だが、二つあった乳房を思わす瘤は、いまは一つだけ。誰かが「くだらない作り話」といって削り取ってしまったという。その人は気が狂い、死んでしまったとも聞いた。
旅すると、その町にだけ息づく、思いがけない話に触れることがある。民話とは、文字通り、民衆が語り継いだ文化なのだとしみじみ思う。
2020年10月9日
老楼快悔トップページ
柏艪舎トップページ