老楼快悔 第73話 ノンフィクション作品『生還』が発刊
『裂けた岬』という本を出版して26年も経って、札幌の柏艪舎から新しく『生還』という書名で再び出版される。しかも同時に「英訳本」が出版される。一番苦労した作品だけに、胸が高鳴る思いだ。
作品を書くきっかけは釧路で新聞記者をしていた29歳の時。新聞の地方版で「凍土」という連載企画を掲載することになり、凍土なるがゆえに生まれた文学や芸術、スポーツなどあらゆるものを取り上げることになった。
私の担当は犯罪。どうしたものかと案じながら、釧路区検察庁の古参副検事、保科衛さんを訪ねた。保科さんは話を聞くなり、
「戦時中、陸軍の輸送船が知床岬で遭難した事件を知っているかい。船長と炊事夫の少年の2人だけ助かり、番屋で暮らすが、食べ物はなく、少年は餓死。船長は少年の死肉を喰って生き延びたんだ」
ええっ、と驚きの声を張り上げた。新聞記者になって数年になるが、そんな話は聞いたこともない。すると副検事は、
「私は検察書記官として現場を踏んだんだよ」
と言いながら、机の中から現場写真12枚と、判決文の写しを取り出し、
「私はもうすぐ定年になる。そうだ、これ、君に上げる。何かの役に立つかもしれない」
そう言って全資料をくれたのである。
お陰で「凍土」の原稿はスムーズに書けて、紙面に掲載され、その仕事はそれで終わった。判決文の写しと現場写真はそのまま私の手元に残り、転勤先を私とともに移動した。
旭川報道部勤務になってほどなく、釧路時代に知り合った捜査係長がいまは後志管内の〇〇警察署長になっていて、久しぶりに車で出かけて会った。その夜の懇親会に交通安全協会長や防犯協会長ら地元の名士らも同席した。
そういえば〇〇町は船長の住む町である。おそるおそる切り出すと、警察署長は「知らない」と首を振ったが、地元の名士らは「ああ、船長は健在です」と答えたのである。
その答えに、眠っていた何物かが揺り起こされた。でもその時は、人肉を喰ってよくものうのうと生きていられるな、というものだった。
船長を訪ねた雪の朝は、忘れようにも忘れられない。手拭いで頬かむりした小柄な船長は、私の質問に呆然と立ちすくんで動かない。雪のしずくが頬を伝う。あれは涙だったのか。船長は「わし、病院へ行くので」と言い、足を引きずりながら家に戻り戸を閉めた。拒絶だった。
なぜ船長は、部下である少年の肉を喰ってまで生きようとしたのか。こうして船長への取材が続けられた。船長は犯行時のことを「知らない」「わからない」としか答えない。だが、「やったのはわし。責任はわしにある」と言う。
やっと話し合えるようになったのは取材を始めて7年目くらいから。一緒に知床岬にお参りに行こうと約束までしたのに、15年目の年の暮れ、急に体調を崩して逝く。享年76。
「あんたには参ったよ。うん、話すこと、みんな話した」
最後は笑顔でそんな言葉を残して逝った船長。来年は、33回忌を迎える。
『生還 食人を冒した老船長の告白』(柏艪舎刊)は9月30日発売。定価1,700円(税別)。
書籍詳細は
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2020年9月25日
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