老楼快悔 第68話 わたし、自叙伝書きました

老楼快悔 第68話 わたし、自叙伝書きました


見ず知らずの中国人の男性から突然、講座を開いている道新文化センター宛てに、便りが届いた。届け主は鄭偉さんという札幌市内の内科病院に勤務する中国人医師で、便りを読んでいささか戸惑った。
この医師は、先輩である中国医科大学薬理学講座の李智元教授から「札幌にいる合田先生にぜひ読んでほしい」と依頼され、著作を持って訪日し、インターネットで私の講座先を突き止めて、連絡したのだという。
便りによるといまから20余年前、札幌医大に留学していた李智美娜さんが、何かの会合で私と出会い、「留学の経過をまとめるように」と励まされ、そのうえ著書を受け取ったという。
実は少し前にも、長野県に住む王琛という方から、似たような内容の便りがあり、返事を出したばかりなのだった。
改めて思い出そうとしたが、どうしても思い浮かばない。ちょっとした会合で執筆に関わる相談を受けることがよくあり、この場合も「日本にきて努力している自身のことを書き留めてみてはいかが」とでも応対したのであろう。
李さんは札幌医大の留学を終えて祖国に帰国後、中国医科大学の教授になり、その後、退職したが、この間に「命」という表題で自分の経歴をまとめあげたものらしい。
「それは立派な行為です。でも私は中国語が読めないので、受け取ってもしょうがない。李さんにその旨をお伝えくださいませんか」と答えた。
ところが鄭さんは引き下がろうとせず、「ぜひ会って、作品を見てほしい」と繰り返すばかり。やむなく講座が終了する日の午後8時に、道新文化センターで会うことにした。
その夜、鄭さんは李さんの便りと2冊の冊子を持って現れた。表紙に『命 一衣帯水情』第一冊、第二冊、李智美娜著とある。自費出版のようだ。鄭さんが第二冊を手に取りぱらぱらとめくった。77頁が私がプレゼントした作品『裂けた岬』の表紙と、私のサインと「1999、5、28」の日付が写真になって収められていた。



中国文なので読めないが、ここだけに、日本語のひらがなで“いのち(命)”と書かれており、それが冊子の表題「命」になっているのを知った。便りが入っていて、鄭さんの説明で、私への感謝の言葉が綴られていた。
「ありがとう、よくやったね、と李さんに伝えてください」
と言いながら、まだ微かなままの記憶を必死にたぐり寄せていた。そんな私とは裏腹に、鄭さんは満面に笑みを見せながら、
「先生、また会いましょう。李先生にはすぐ返事を書きます」
と大声で言い、私が冊子を手にしている場面を写真に収め、颯爽と帰っていった。
帰宅する遅い時間の電車の中で冊子を広げて、サインと日付という動かぬ証拠に、記憶とはいかに頼りないものかを痛感しながら、普段、いかに無責任な物言いをしているものか、と厳しく反芻した。








 
2020年8月21日


老楼快悔トップページ
柏艪舎トップページ