老楼快悔 第67話 「75年周期説」の不思議と怖さと
2020年(令和2)年8月11日の北海道新聞に掲載された吉岡忍さんの寄稿「時代を視る 戦後75年の夏」の「2世代半で振り出しに」を読んで、何かを突きつけられた思いにかられた。戦後から75年。この75年という期間が家系の2世代半であり、「そのくらいの歳月が経てば、すべては元の木阿弥、最初からやり直し」という指摘だ。
ぎょっ、となった。いまわれわれが伝えようとしていることも、75年経ったら消えてしまう。それなら何の意味もないではないか、という思いにかられる。
吉岡さんはこう記す。
「明治維新から2世代半後の日本はどうなっていたか。正確には78年だが、孫たちの目に広がっていたのは―― 一面の焼け跡、日本の敗戦の現実だった」
「『明治維新の孫の世代』から『戦後日本の祖父母の時代』になった。(略)いまの働き盛りは孫の世代である。さて、歴史はくり返し、元の木阿弥なのか。いや歴史はくり返さない、くり返すのは人だ、とも言う。岐路に立つ戦後75年の夏である」
なるほど、と思った。
私の祖父の生年は明治8年(1875)3月、亡くなったのは昭和28年(1953)1月。祖父の代から見て私は三代目になる。つまり祖父の歴史は私の代の半ばで消えてしまったというわけだ。
では昭和9年(1934)生まれの私の場合どうなるか。息子の生年は昭和36年(1961)で、一番早い孫の生年は平成4年(1992)。この孫の代の半分のところで私の歴史は消えることになる。
でも、本当にそうなのだろうか。平均寿命が延びて私はもうすぐ87歳を迎える。孫は28歳の娘を筆頭に男女4人。いずれも20代の溌剌とした若者たちばかり。この孫たちが世帯を持ち、子どもが生まれたら曾孫ということになる。
となると2世代半で歴史は振り出しに戻り、消えてしまうという説も、もう少し伸びる可能性が高くなる、と考える。
それにしても時代の変化は凄まじいものがある。75年前に小学生として体感した敗戦の日の前後を思い出すと、不思議な感慨に陥る。
先生に言われて教科書に墨を塗り、塗りすぎて困ったこと。食糧不足のため姉と買い出しに出かけ、途中で警察に捕まったこと。町に平和が訪れ、防空壕がいらなくなったのに、友達と中に入って遊んだこと。野球の用語がもとの英語に戻り、みんなで「ストライク」と大声で叫んだこと。“勝利、勝利”と叫んでいた先生が、突然“自由、自由”と叫んだこと、陽気なジャズ音楽が急に流れ出し、着物姿の女性が道路ではしゃいでいたこと。帰還した復員兵が恐ろしくて近づけなかったこと。鬼と恐れていた占領軍のアメリカ兵からチョコレートをもらい、変な気持ちになったことなどなど。
こんな少年時代の話を、2世代後である孫たちに語っていきたい。すべては元の木阿弥、最初からやり直し、にならないように、と心の紐を閉め直している。
2020年8月14日
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