老楼快悔 第62話 森村誠一さんとの触れ合い

老楼快悔 第62話 森村誠一さんとの触れ合い


 作家、森村誠一さんと初めて会ったのは1993(平成5)年夏、北海道新聞日曜版「ミステリーの風景」の連載で、小説『人間の証明』を取り上げることになり、東京都内の自宅に伺った時である。
 カメラマンとともに朝、新千歳空港を飛び立ち、昼過ぎに訪問した。森村さんは私より1歳年上だが、見るからに若々しく、質問にも丁寧に答えてくれて、十分に取材ができた。
 雑談になり、私が書いた満州開拓団の本の話から、戦時中に関東軍731部隊が犯した細菌を用いた戦争犯罪に話が及び、身震いするほどの衝撃を受けた。これが世を震撼させることになる同氏の著書『悪魔の飽食』である。
 別れ際にサイン入りの本を手渡された。押し戴きながら、社会派作家ゆえの取材の難苦に思いを馳せた。その後は会える機会もなく、新聞社を退職してからは年賀状だけの付き合いになったが、賀状に書かれた風刺のきいた表現に、何度も唸らされた。
 私の書いたノンフィクション作品『裂けた岬』(1994年恒友出版)が1998年夏、幻冬舎アウトロー文庫から文庫本で出版されることになり、編集担当者から「解説」を森村さんに頼むことにした旨を告げられた。私は感謝の言葉の後、交流の経過を説明し、「森村さんにくれぐれもよろしく申してください」と述べた。
 この文庫本はほどなく出版されたが、森村さんの「解説」のお陰もあって、よく売れた。札幌の大学で講師をしていたので、学生がそれを知って話が広がり、この本に関わる講義をするハメになった。あまりに凄い内容だったので、学生たちの顔色が変わったのをいまも記憶している。
 この本が今度は柏艪舎から新装改訂して出版されることになり、「解説」使用の許可を得るべく、久しぶりに森村さんに便りを書いた。入院中と知らされていたので、手数をかけないよう同封のハガキに、許可、不可、と並べて、どちらかを消すようにしておいた。
 2日後に入院中の森村さんから電話が入った。
「解説の文章、使って下さい」
 と言ってから、久々にこもごも話し合い、最後に励ましの言葉さえ頂いた。
 翌日、返信用のハガキが届いた。筆字で署名があり、「どうぞご自由に」と書かれていた。温もりを感じさせる文字だった。
















 
2020年7月6日


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