老楼快悔 第60話 刺青の話

老楼快悔 第60話 刺青の話


 道内の温泉地などで、刺青をした外国人が出入りするようになり、困惑しているという。国によっては芸術品とされるが、わが国のイメージは決してよくない。ある温泉街では「刺青入湯お断り」の掲示をするところもあるそうだ。
 少年の頃の話だが、刺青を巡る鮮烈な思い出がある。
 戦後間もない中学生の時、「児玉のおじさん」と二人で近くの大衆浴場に行った。おじさんは私の父が経営する土建会社に勤め、わが家の裏手の借家に住んでいる。だから親戚みたいな存在だった。
 その時、おじさんの右腕に刺青があるのを見て、どきっとなった。そこには墓の絵と「花子命」の文字が彫られていたのだ。
 おじさんは「ああ、これか」と少し照れたように笑い、「昔の話だ。好きな女の名前だ」と言った。だがそれ以上は話さなかった。
 おじさんの年齢は四十過ぎ。どこにでもいる冴えない雰囲気の年配者で、何か不思議な気持ちにさせられた。
 そのおじさんが突然、再婚した。相手は近所に住む子持ちの女性だった。後日、父の勧めによるものと知った。「お前の気持ちもわかるが、もういいじゃないか。新しい道を出直せ」というようなことを言われたらしい。若い頃、愛し合う二人が、何かの事情で引き裂かれたのが原因という。
 その後、おじさんは新しい家族ができて幸せそうに見えたが、刺青のことをどう説明したのかと気になった。
 吉村昭の小説『梅の刺青』を読んで、思わず遠い日のおじさんを連想した。小説の主人公は遊女みき。悪い病を患い、治療もできないまま死を意識して、「死んだら懇ろに葬る、戒名もつける」との約束で、医学のために解剖を申し出る。明治2年(1869)、遊女など人間扱いにされない時代の話だ。旧幕府時代に行われた解剖はすべて刑死人が対象で、犯罪とは無関係の一般人の解剖第1号だった。
 そのみきが腕に彫りものをしていたという。同書にはこう書かれている。

  梅の花が数輪ついた枝に短冊が少しひるがえるようにむすばれている。短冊には男の名の下に「……さま命」と記されている。

 どんな立場に置かれても、人を愛することができる。だが、その思いをわが身に刺青までして貫けるものか。一冊の本から、刃を突きつけられるような衝撃を覚えた。
















 
2020年6月19日


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