老楼快悔 第56話 土方歳三の首はどこに
土方歳三の箱館戦争における人気は抜群である。毎年5月18日(五稜郭開城の日)に近い土日曜日に催される箱館・五稜郭祭の土方歳三コンテストには、多くの参加者が登場し、派手なパフォーマンスを見せる。沿道の観衆はその演技に拍手を送る。
なぜ歳三はそんなに人気があるのか。その最期が桜花の散り際の潔さが、人々の心を捕らえて離さないのであろう。
歳三を主人公にした作品は枚挙にいとまがない。私自身も『土方歳三読本』(共著、新人物往来社)など何冊かに書いた。
歳三の最期の地とされるのが函館駅にほど近い一本木関門。蝦夷島臨時政権総裁の榎本武揚が、町人から通行税を取るため設置したものだが、新政府征討軍により制圧され、弁天台場との連絡路が絶たれた。
歳三はそれを奪い返そうと、単騎で関門を突破しようとして狙撃されて落馬し、近くの民家の納屋に担ぎ込まれたが、「すまんのう」と言い残して絶命した。
この説は地元に長く語られ、司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』もこれを採っている。しかし別説もあり、元新撰組隊士、大野右仲の「函館戦記」は味方の蟠龍艦が新政府軍の朝陽艦を砲撃、沈没させた直後に、歳三自ら刀を抜いて関門に立ち、敵弾に撃たれるという内容になっている。
ところが肝心の歳三の遺体が、いまだにどこに埋葬されているのかも判然としない。ノンフィクション作家の私としては、これ以上、踏み込めないのだが、ここで私のもう一つの顔がひょいと出てきた。日本脚本家連盟北海道支部長という肩書である。
資料を中心に、当時語られていた町人の話や風説まで混ぜてストーリーを作り、亡霊の歳三が語って物語を展開していくラジオドラマの脚本「歳三の首」を書き上げた。
HBCラジオが「それは面白そうだ」と言ってくれて製作が始まり、何とか放送にこぎ着けた。スポンサーもつかない、誰も聞いてくれない午前4時からの放送だったが、地元の放送劇団の熱演もあって、「夜明けの番組に相応しい出来」などと思わぬ賛辞を頂戴する形になった。
制作に携わってくれたスタッフのみなさん、ごくろうさま、聞いてくださったみなさん、ありがとうさま。そして歳三さん、眠っているのを起こしてしまって、ごめんなさい。
2020年5月18日
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