老楼快悔 第55話 “死体なき殺人事件”と人事異動

老楼快悔 第55話 “死体なき殺人事件”と人事異動


 人事異動の季節。新聞紙面に異動する人の氏名が掲載されるのを見るたびに、思い出すことがある。それはこんな具合に始まった。
 昭和37年12月19日、釧路警察署に奇妙な通報が入った。独り暮らしの作業員(60)がいなくなり、自宅の茶の間の豆電球が点いたまま。飼い犬と鶏40羽が餓死しているという。同署は現場の状況から、何らかの異変に巻き込まれた可能性があると見て、自殺、他殺の両面から捜査に乗り出した。新聞は「死体なき殺人事件」と報じた。
 だが何らの進展もないまま1年2ヵ月が過ぎた。同署が別件で逮捕した男性(30)を取り調べるうち、作業員殺しを自供。その自供に基づき、捜査員の動きが慌ただしくなった。
 この情報をキャッチしたのが昭和39年2月11日夕。同署の刑事らに手当たりしだいに質したが、誰も応じない。当直の刑事室もがらんとしている。トイレで会った刑事が「明日早いから」と言って刑事室に戻っていった。「早い」という言葉が引っかかった。思い余って道警釧路方面本部長公宅へ赴いた。すでに夜10時を回っていた。
 寝巻姿の本部長は「あす、全国の本部長会議があり上京するので」と話しながら、部屋に通すと、高級ウイスキーを取り出して私に勧めた。ややあって「君は、ここにはいないんだよ」と言った。「はぁ」と答えて、本部長の心中を読みとれずにいた。
「明朝、釧路署の刑事が容疑者を連行して、埋めた死体を捜索することにしている」
「はいっ」、そう答えるのがやっとだった。
「ささ、ぐっとやって。私はこれで失礼するよ」
 本部長の好意に深々と頭を垂れ、グラスのウイスキーをぐっと飲んで、待たせておいた車に飛び乗った。会社に戻るなり、編集局の六角机に向かうと夢中になって書いた。明日の取材の準備を整え、午前2時、ゲラ刷りを見届けてから六角机の上で眠った。
 翌朝、北海道新聞は大スクープとなった。早々にカメラマンをともない捜索現場へ赴く。やがて刑事たちや容疑者がやってきて捜索が始まった。だが遺体は見つからない。翌日も、翌々日も、刑事に言われて、私も一緒になって掘ったが、死体は見つからなかった。
 そのうち「道新の先走りだ」「容疑者の自供に振り回されたんだ」といった批判の声が出だした。眠られない夜が続いた。その最中に、私の転勤の内示が出た。焦りがおののきに変わった。
 出発前夜遅く、同僚から「死体発見、明日の朝刊で書く」と連絡が入った。安堵した。出発の釧路駅頭に本部長も姿を現し、笑顔で近づいてくるなり、私の手を固く固く握った。










 
2020年5月8日


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