老楼快悔 第50話 モノクロ写真がカラーに
雪まつりの最中、東京に住む息子夫妻の次女が、大きな荷物を背負ってやってきた。大学を卒業して文芸への道を模索しているという。
その孫娘に「昔のモノクロ写真ある?」と訊ねられた。モノクロとは白黒写真を指し、昭和四〇年代まではカラー写真などお目にかかれなかった。取材のたびに撮ってきた写真は書斎の写真ケースにごっそりあるが、ほとんどがモノクロばかりだ。
そう言うと孫娘は、ぜひ見たいという。いつかは整理しなければと先日、選別して紙袋に入れておいた家族写真をもう一度引っぱり出した。孫娘は「わーっ、すごい、たくさんある」と大喜び。あまりはしゃぐもので訳を訊ねると、いまやモノクロ写真などどこを探しても見つからないという。そんなものかと改めて時代の移り変わりを感じた。
思えば私がカメラを手にしたのは高校を卒業して間もなく。新聞社のアルバイトをするのに、必要に迫られて購入した。まだ高価で、周囲にカメラを持つ人などいなかった。
孫娘に、「これは爺の生まれて3ヵ月の写真」「この左側が高校卒業の爺」などと説明しながら写真を一枚ずつ手渡した。孫娘はそのたびに「すごいっ」などと奇声を上げる。あまりに喜ぶものだから、こちらも調子に乗って5、60枚も手渡す結果になった。
孫娘が暗がりで何やらごそごそやりだした。写真を複写しているのだ、と単純に考えたが、そうではなかった。
「爺ちゃん、これ、見て!」
差し出された画像を見て驚いた。見慣れたモノクロ写真が、鮮やかな色彩をまとったカラー写真に変貌しているではないか。
なぜだっ、と叫ぶ私に、孫娘は、「スマートフォンのアプリでモノクロを撮ったら、こんなに変わるの。実践してみて大成功っ」と声を張り上げた。
改めて画像を見た。肌の色、空の青さ、山の緑、どうしてこれほどまでに再現できるのだろうと、ただただ感嘆した。
写真談義が嵩じて、事件記者時代に撮影した写真を差し出した。巡視船に同乗して根室の歯舞海域を巡った時、日ソ(当時)の境界線近くでソ連の監視船が領海を侵犯した日本漁船3隻を連行する場面にぶつかった。その時、とっさに撮影したたった1枚のモノクロ写真である。それが一瞬のうちにカラー化された写真になって現れたのだ。あの日の戦慄が体内を走り、思わず息を呑んだ。
2020年3月16日
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