老楼快悔 第44話 あの少女はいま

老楼快悔 第44話 あの少女はいま


 前回の「UHB少年の船」の続編ともいえる話を書きたい。
 グアムまでの船内は6、7人のグループが1室に入居するのだが、小学6年の女子が一人、しょんぼりしている。アイヌ民族の子どもで、同室の女子たちに何か意地悪されたらしい。
「そうか。じゃあ、食事の時は、私と一緒にしよう。旅行中は私がお父さんだよ」
 そう言うと、少女は気恥ずかしそうに微笑んだ。
 以来、同室の子どもたちに話をして、朝、昼、晩と特別のことがない限り、少女と並んで食事を摂った。何気ない会話の中で、少女は浦河町に住み、母と妹弟らと暮らしている、父親は海難事故で亡くなったのを知った。母はそんな暮らしの中から、娘をこの旅行に送りだしたのだ、と思うと、少女もさることながら、参加した子どもたちみんなに、いい思い出を作ってやりたいと思った。
 初日から船に積んできた自前のワープロを使い、記事を書き、「少年の船新聞」を作り、毎朝各室に1部ずつ配布した。だが、なかなか読んでくれない。少女にその話をしたら、黙って私の顔を見ていた。
 グアムで3日間過ごして帰国の途についてすぐ、少女が「きょうまでの新聞が欲しい」と言ってきた。聞くと「帰ったらこの新聞で、冬休み自由研究を作る」という。
 感激した。集会で「少年の船新聞を冬休みの自由研究にしている人がいる。皆もやってみませんか」と呼びかけた。すると翌朝から希望者が殺到して、慌てて増し刷りした。
 帰国して1週間ほど経ったころ、突然、UHB本社に母子三人連れがやってきた。父親替わりをしたあの少女と母親と妹だった。母親は「船では大変お世話になったそうで、ありがとうございます」と礼を述べ、持参した土産の昆布をどっさり差し出した。
 少女は、別れてまだ日が経っていないのに、少し成長した感じで、「来年は、妹が行くといっています。よろしくお願いします」と言った。隣で妹がぺこりと頭を下げた。胸が熱くなった。急いで、手元にあった自著に少女の名前を書き、サインをして手渡すと、驚いたように目を見張り、受け取った。
 翌年暮れ、5年生になった妹が船に乗り込んできた。でも姉のように、私を父親役にすることもなく、同室の子どもたちと打ち解けていて、安堵させられた。
 あれから40年近く。あの姉妹は、どんな人生を送っているのかと思う。














 
2020年1月20日


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