老楼快悔 第41話 一休さん
一休さん、といえば、持ち前のとんちで大人たちを負かす。「このはし、わたるな」と書かれた標札を尻目に通っていく。「あの標札が見えないのか」と指摘されると、「だから端(橋)ではなく真ん中を通ってきたんです」と答える。相手はぎゃふんとなり、あいた口がふさがらない。
一休さんは実在の人物。明徳5年(1394)1月1日生まれ。父は後小松天皇、母は藤原家の娘である。6歳で出家し、15歳で詩歌「春衣宿花」を作り、英才とうたわれる。こおれが後の「とんち一休」へつながっていく。
21歳で「洞山三頓の棒」の偈により開悟し、「一休」の号を授かり、35歳から自在な教化活動に入る。誰とでも会い、仏教だけでなく、さまざまな問答をした。父である後小松天皇に会い、禅を語り、政治のあり方について言上している。
栄達を望まず、京都や近在の寺を転々として仏の道を説いた。晩年は薪村(現在の京都府京田辺市薪村)の酬恩庵に住み、自適の暮らしをしながら、『自戒集』『一休骸骨』『一休水鏡』『狂言集』などを著した。
私の手元に百年前に京都の中村風祥堂から発刊された『一休狂歌問答』という古書がある。これが胸に突き刺さるほど凄い。まず世の人を諭す一首。
会者定離(えしゃじょうり)生者必滅(しょうじゃひつめつ)世のならひ この事はりをつねに忘るな
会者定離とは、会ったものは必ず別れる、生者必滅とは、生きている者は必ず死ぬ。だからこの理(ことわり)を忘れるな、と諭したもの。続いて世の人を叱咤する二首。
おとぎ伽羅(きゃら)の油紅白粉はかりの色 心の色のさめぬのがよし
色と酒慾の三ツで二ツなき 命を耗(へ)らすこれも馬鹿もの
今度は、ぎょっとする一首。
恋といふ その源を尋ぬれば 小便屎(くそ)あなの二つなりけり
厳しい視線は僧侶にも向けられる。
色とよく 俗より深き売僧ども 地獄があらば先へおちやう
美しい袈裟(けさ)や衣に化(ばか)されな 坊主も油断ならぬ世の中
そしてこう詠む
石地蔵 金の弥勒(みろく)も木仏も 悪事強欲させぬためなり
一休さんが眠る酬恩庵一休寺を訪ねた。境内に立つ可愛らしい一休像を見ながら、地獄極楽の存在を否定し、売僧の存在を憎悪しつつ、筋金入りの晩年を生きたその姿を想起して、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
2019年12月16日
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