老楼快悔 第39話 “出戻り”の本に感謝

老楼快悔 第39話 “出戻り”の本に感謝


 古本屋さんに行くと、思いがけない本に出合ったりして、楽しい時間を過ごす。でも、これには本当に驚いた。四十年も前に出した自分の本を目にしたのだ。
 思わず手にして、ぱらぱらとめくって、どきっとなった。いまは亡き友人のOさんに贈ったもので、扉に私の下手なサインと、その脇にOさんの字で「昭和五十一年六月、合田氏より贈らる」とペンで書いてある。
 Oさんは新聞販売店の店主で、私より十五、六歳年上だが、故郷が同じということで、何かと世話になった。よく飲みに出かけ、よもやま話に花を咲かせた。気のおけない間柄だった。
 もっと驚いたのは、その文字のさらに脇に、Oさんのペン字で「T様へ」とあり、そばにやはりペン字で「Oさんより本書を戴く」と書かれていたのだ。
 思うにOさんは読み終えた拙著を、Tさんという方にプレゼントしたのだろう。これに対してTさんは、きちんとその旨を綴ったのだ。Tさんという人を当然私は知らない。
 キモを潰すとはこういう事を指すのだろう。白状するがこの本は『北海道ロマン伝説の旅』といい、ペンネームで出した一番最初の作品だった。わが家の書棚の奥には一冊だけ、ひっそりと眠っている。
 大慌てでこの本を買い求めた。わが家に戻り、改めて本をめくった。長年経過している割りには、表紙が少し傷んでいるだけで、しっかりしている感じだ。本を眺めながら、この本がたどった軌跡を想った。
 私の手元を離れてOさんの手に渡った後、Tさんの手に渡り、何かの原因で古本屋さんに売られ、いま私の手元に戻ったのだが、この間にあるいはもっと違った道程を歩いたのかもしれない。
 とそこまで考えて、作家というものが、いかに薄情な存在であるかを、本自身に突きつけられた感じがした。思い起こせば、本を書き、出版したら、それで本とはお別れである。生み出された本たちは、当然、別々の道を歩んでいき、その最期もどうなったのかわからない。そう考えるとこの本にめぐり合えたのは、奇跡に近いことなのかもしれない。
“嫁”に出した本が結婚先を出されて“再婚”し、めぐりめぐって実家に戻ってきたのだ。そう思うと、いとおしさが胸に溢れて、たまらなくなったんた。
一言、いやぁ、わるかった、と本に言葉をかけ、静かに抱いた。












 
2019年11月28日


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