老楼快悔 第38話 川の名が地名になった街

老楼快悔 第38話 川の名が地名になった街


 前回でも紹介した通り、道内には面白い地名がたくさんある。理由はアイヌ語地名をもとにしているのは、ご存じの通り。倶知安(クッチャン)、長万部(オシャマンベ)などはその代表として知られる。そんなことで幼い頃から地名に興味を持った。
 私の郷里は空知郡上砂川町だが、この町を流れる川の名がパンケウタシナイ川、隣町の歌志内市を流れるのがペンケウタシナイ川、パンケは下、ペンケは上。地図を見ると確かに東西に上下して流れ、砂川市で石狩川に合流している「兄弟川」なのがわかる。
 この三つの市町がアイヌ語地名を巡って深く関わっているのである。まずパンケ、ペンケの二つのウタシナイ川が石狩川に流れ込む砂川市はアイヌ語でウタシナイ、と呼ばれた。「砂・多い・ところ」の意。パンケ、ペンケの両川により、多くの砂が流されて堆積したことによる。そこで意訳して「砂川」とした。
 上流のペンケウタシナイ川の町は、ペンケを省略し、音を訳して「歌志内」とした。さて、私の郷里の上砂川はどうしたかというと、砂川の上手に位置しているのだから「上砂川」でよかろう、ということに。でもパンケの本来の意味は「下」。ひょっとして地形にうるさい人がいて、指摘されたら「下砂川」なんてことになってたかもしれない。
 石狩川の沿線には、だから川のつく地名が多い。滝川は、アイヌ語で、ソラップチ・プト、「滝がごちゃごちゃ落ちている・川」から意訳した。ちなみにソラップチが空知郡になった。深川は石狩川からではなく、オオホ・ナイ、「深い・川」と呼ばれた大鳳川が語源。旭川は、チュプ・ペツ、「日の・川」の意から、朝日ののぼる川に意訳された。語源となった川は、忠別川である。
 対岸の浦臼は面白い地名が残る。ウラシ・ナイは「笹・川」。笹が繁茂していたという説のほか、梁が多く架けられていた川の説もある。浦臼町内には、晩成内、札的内などの地名もある。オ・ショ・シケナイは「川尻が崩れている谷川」。サッテク・ナイは「やせる川」の意。川がやせるとは、乾期になると水流がやせ細るという意。
 川はつかないが、江別は、ユベ・オチ、「チョウザメ・いるところ」の意。幌向は、ポロ・モイ・プト、「大きく・曲っている河口」、幌向川の合流点で、石狩川がここから大きく屈曲しているのを指す。奈井江は、もともとナエイ、ナエは谷、ナイは川。谷川の意という。
 美唄は、ピパイ、「沼の貝のいるところ」の意。最初は意訳で沼貝村と称したが、一九二六(大正十五)年に音訳で「美唄」に変えた。うーむっ、お見事!












 
2019年11月18日


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