老楼快悔 第36話 古新聞を読んで
先日、歴史研究グループのバスツアーで、伊達市の二つの寺を訪れた。取材のたびに何度か訪れているのだが、宝物館は初めてである。
有珠の善光寺は文化元年(1804)、徳川幕府により建立された蝦夷三官寺の一つとして名高い。本殿をめぐってから宝物館へ。重厚な空気が流れ、有珠山に登った円空が彫った「観音像」が見える。
朝廷から歴代住職に贈られた「綸旨」や、幕府より任命された住職一行が、江戸から蝦夷地へ赴く時などに用いた「御用旗」「御用札」。アイヌ民族を教化するのに用いた「念仏上人子引唄」の刷り版木も展示されており、しばし歴史の余韻にひたった。
大雄寺は伊達亘理家の北海道移住に伴い、明治十三年に伊達亘理家の菩提寺として開創した。三階の宝物館に足を踏み入れて驚愕した。先人たちが用いた兜、鎧や刀剣、陣羽織をはじめ、仏像、仏画、史書、さらには生活用品まで数百点の遺品がぎっしり並べられていた。一番驚いたのは「打ち首箱」。一抱えほどの円形の木箱だが、討たれた人間の無念のにおいがした。
帰り時、同行の人が私に声をかけた。展示物の下に古い新聞紙が敷かれているという。見ると「昭和十六年四月二十日」の北海道タイムスの社会面と室蘭胆振日高版が表裏になっていた。副住職によると「昭和戦前、檀家の方々がお寺で預かってほしいと持ち込んだものが多い」というから、この新聞はその時のものと推測できた。
無理を言ってこの古新聞を戴いた。社会面トップは「国民学校二十日間の報告」とあり、こんな文面が掲載されていた。
新教科書を代用品製のランドセルに詰込んで、これを教はる日を待ち焦がれつつ通学する小国民 一小学校から一躍皇国民としての心構へを錬成させる国民学校と学園の名が変ってから丁度二十日、児童の新教育法に心をくばる一年生受持の先生達や校長さんは慣れた『小学読本』を投げ棄て邁進する労苦も一方ではない。
日中戦争が激しくなり、小学校の呼び名が国民学校に変わり、児童らもまた「小国民」として鍛えられていく、そんな節目の記事に遭遇したわけだ。
地方版には「護れ!地と空」をはじめ「羊毛提出でご奉公」「野に畑に礦務に 夕張児童の挺身隊」などの見出しが見える
この新聞から八か月後に、大東亜戦争が始まるのである。筆者は小学二年生。登下校時に校舎の脇に立つ天皇、皇后両陛下の御真影を収めた社に最敬礼したあの日が甦り、思わず身震いした。
2019年10月28日
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