老楼快悔 第35話 遠い昔に建てられた「イヌの墓」

老楼快悔 第35話 遠い昔に建てられた「イヌの墓」


 車で旅していると、思いがけないものに出合うことがある。内浦湾を海沿いに行くと、伊達市有珠の小高い丘に、旧善光寺があり、その境内の片隅にイヌの墓が一基、ぽつんと立っている。
 先日、久しぶりにその墓に詣でた。『北海道・ロマン伝説の旅』(噴火湾社)を書いた時以来だから、四十年ぶりになる。
 墓の正面に大きな梵字が一文字、その下にイヌの像が彫られている。脇に「文化五年七月四日」と見える。
 文化五年は一八〇八年。北海道がまだ蝦夷地と呼ばれた前幕領時代で、幕府が有珠に善光寺を建立したのが文化元年だから、その五年後ということになる。
 いまのペットブーム期なら別として、二〇〇年も前のはるか遠い時期に、なぜこれほど立派なイヌの墓が建てられたのか。
 取材の折に話を聞いた同寺の住職はすでに亡い。持参した当時の古ぼけた取材ノートを広げた。
 そのころこのあたりは、多くのアイヌ民族が住んでいた。二代住職の鸞洲(らんしゅう)(初代住職は赴任途中、箱館で死去)は、毎日アイヌ民族の家々を回り、「念仏上人子引歌」をアイヌ言葉で歌って、教化に務めたという。
「タパアン・ウタレ、エパカシ・コカヌ。トナシ・モイシカ、アリン・ユイ・ライナ、ライコパン・チキ、ネンフチ・キイヤン」
 意味は、「こりゃ人々、教えを聞けよ。早いか遅いか一度は死ぬぞ。死ぬがいやなら念仏申せ」
 亡き住職の説明によると、どうやらこのイヌは住職が飼っていたもので、家々を回る時に一緒に歩いていたという。だがそのイヌが亡くなったというだけで、墓を建てるだろうか。納得できない。
 このイヌはとても勇敢な“番犬”で、クマにも立ち向かったという。イヌは僧の危機を救うような働きをして傷つき、死んだ。僧はその死を哀れみ墓を建てた、と考えると、筋道が見えてくるのだが。
 そんな筆者の思いなど知らぬげに、イヌの像は、いまも変わらず、オツにすまして見てござる。












 
2019年10月17日


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