老楼快悔 第29話 お墓めぐりのご利益?
歴史物の取材をしていると、決まってその主人公のお墓参りをする。そのたびに撮影した墓の写真が膨大な数になった。面白半分出したのが『お墓からの招待状』(北海道出版企画センター)という本。本州方面から引き合いが多いという。
内容は、1章が一心太助と大久保彦左衛門、大岡越前守、遠山の金さん、服部半蔵、国定忠治……。2章が八百屋お七、石川五右衛門……、3章が水戸黄門、助さん、格さん、といった具合で、全部で70ヵ所ほど取り上げた。
中でも凄いのは清水の次郎長の墓だ。いまは合併して静岡県静岡市清水区の清水南岡町の梅蔭禅寺の墓所に、巨大な自然石の次郎長の墓、それに付き従うように森の石松、大政、小政の墓が並んでいるのだ。そばにでんと構えた次郎長像が鎮座していて……。
たまげたのは次郎長の妻、おちょうの墓だ。次郎長は生涯、3度結婚しているが、いずれもおちょう、と名乗らせた。次郎長が亡くなったのは明治26年(1893)6月12日、最期を看取ったのは3代目おちょうという。だからこの墓には、3人の妻が眠っているというわけか、と驚いたり、感心したり。
鼠小僧次郎吉の墓は東京の南千住の回向院にある。昔の小塚原刑場跡で、角形の墓石の正面に「源達信士」とあり、右脇に「俗名鼠小僧」と読める。奥に古い墓があり、後に建て替えられたと知った。
墓はもうひとつ東京・墨田区の回向院にもある。こちらは自然石で「教覚速善居士」と刻まれている。どうやら戒名がふたつあるらしい。墓前に白っぽい墓石が置かれていた。「お前立ち」と呼ばれるものだ。
何でも、次郎吉の墓は人気の的で、競馬や競輪など賭け事をする時、墓石を削り取って懐中に忍ばせておくと、勝利するという。そのせいで、墓石はガタガタになるほど削られ、困った寺が苦渋の末に、「お前立ち」を設けた、という話を聞かされた。
取材に訪れた時、たまたま中年の紳士がやってきて、ナイフを取り出して石を削りだした。やがて紳士は削り取った石片を大事そうに紙に包み、深々と祈り、去っていった。
次郎吉は大名屋敷ばかりを狙って荒し回り、逮捕されて、小塚原で磔、獄門になったのは天保3年(1832)。江戸市中引き回しの時は、凄い人出だったという。
そして200年後の今日、大泥棒がギャンブルの“守り神”にされていようとは。可笑しさが、こみ上げる。
2019年8月15日
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