老楼快悔 第24話 タケ君の涙の味

老楼快悔 第24話 タケ君の涙の味


 中学の同級生にタケ君という男子がいた。寿司店の次男坊で、少しませた陽気な少年だった。
 二十代半ば、筆者が釧路で新聞記者をしていた時、突然、会社に現れ、開口一番、
「頼む。俺、新聞記者になりたいんだ」
 と叫ぶように言った。理由を聞くと、この世の中、寿司職人はいつまでも寿司職人、偉いやつはいつまでも偉いまま。一念発起して世の中をただす新聞記者になろうと決意し、同級生の筆者を頼ってやってきた、という。
 「そりゃ無茶な話だ」となだめたが、引き下がろうとしない。会社の寮に泊めて、翌日にも帰そうとしたが、がんとして動かない。やむなく小さな雑誌社を紹介して、雑誌記者のような仕事につかせたが、取材の仕方のいろはから教えなければならない羽目になった。
 しかも書いてきた原稿が、まるで形になっていない。「ここはこう書け」「余分な文章は削れ」などと言いながら、結局、忙しい中、全文書き直す事態に追い込まれた。
 こんな日が一ヵ月近く続いて、タケ君と会うのさえ辟易していた時、突然、
「俺、帰る。親父が怒ってるんだ」
と述べた。「そうか」と答えながら、内心ほっと安堵した。
「今夜、お前のとこへいく。最後の夜だ」
 タケ君がぼそっと言った。
 その夜、タケ君は、狭いわが家に、どこから工面したのか、大きな桶を携えてやってきた。そして飯を炊き、ネタを整え、寿司を握りだした。大皿に、見る間に寿司が盛られていく。その手際のよさは、驚きを通り越して感動さえ覚えた。
「やっぱり、すごい腕前だなぁ」
 感心して言うと、「そうか」と答え、「寿司屋は寿司屋だもな」とひとり言のように言い、小さく笑って目を伏せた。その目に涙が光っていた。
 タケ君は翌朝、出来たばかりの雑誌を「これ」と言って手渡し、去っていった。
 タケ君の消息はわからない。でもタケ君の雑誌は、いまも手元に残している。六十年近くも前の「オール東北海道」(昭和三十六年七月号)という雑誌だ。
 頁を開くと、タケ君の涙の味が、いまも伝わってくるように思える。






 
2019年6月27日


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