老楼快悔 第23話 ブリュネに“恋人”がいた
フランス軍人、ブリュネが箱館戦争を戦ったことは書物を読んで知っていた。でも取材先のパリで、その末裔から「“タイクン拝領の刀”がわが家にある」と聞いた時は、飛び上がるほど驚いたものだ。
タイクンとは将軍徳川慶喜を指す。ぜひ見せて欲しい、と頼んだが、「この次に来た時にでも」とやんわり断られた。
好機が巡ってきた。2001年初夏、再びフランスへ。ブリュネから4代目のエリック・ブリュネさんは、わが家に「タイクンの刀」を飾って待っていた。刀は大、中、小の三振り。拝領したのは一振りというから、どれが拝領品なのかもわからない。
ブリュネが幕府の軍事顧問団の副団長として、団長シャノワンヌ以下十五人の軍人とともに、日本にやって来たのは慶応2(1866)年12月。(後にカズヌーブ伍長らが追加)フランスのロッシュ公使を信頼する慶喜は、このフランス軍人に好意を抱き、手渡したらしい。だが、いつ、どこで。
資料を調べ上げて、慶喜が刀を渡したのは、慶応3年3月27、28日の謁見の時に、団長、副団長、それに騎兵隊長の3人に渡したと推測できた。
だが、どの刀と断定できるものがない。やむなく東京に住む知人の刀剣鑑定家に頼み込み、またパリへ飛んだ。目釘を抜いて銘を読み、小刀が「タイクンの刀」と判明した。美濃の「兼分」が鍛えた古刀だった。
驚いたのは中刀。松前藩の家紋入りの「衛府の太刀」と呼ばれる高価なもの。大刀は名もないもので、ブリュネが顧問団から離れて榎本武揚の脱走軍に身を投じる時、横浜のイタリア大使館の仮装舞踏会で日本武士の姿に扮装してダンスを踊った時に用いたもの、と推測できた。
後になって、ブリュネに恋人がいたことがわかった。横浜に住む「トミ」という女性である。絵のうまいブリュネは多数の絵を残しているが、その中に若い女性の絵が一枚だけある。「TOMI」と見える。トミは身籠り、箱館戦争を戦うブリュネを追って箱館まで来たらしい。だが会えないまま、ブリュネは箱館を離れ、故国へ帰っていく。
トミのたどたどしい文章から、ブリュネはトミに金も与えず、離れたらしい。でもフランス軍人がそんなことをするはずがない。トミに金を渡すよう頼まれた人物がいて、その男がそのままドロンを決め込んだのではないか。
刀から派生した物語の終着点は、まだ見えてこない。
2019年6月17日
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