老楼快悔 第13話「春、桜田門外で」

老楼快悔 第13話「春、桜田門外で」


 幕末期の事件を取り上げる『日本史の現場検証』(扶桑社)は、最初からトップのテーマは「桜田門外の変」に決めていた。
 安政7(1860)年3月3日は上巳(じょうし)の節句、諸大名が江戸城に総登城の日。太陽暦に直すと3月24日になる。春めいてくる時期なのに、前夜から雪が降りだし、朝になってもやまなかった。
 朝五つ半時(午前9時)過ぎ、幕府大老で彦根藩主の井伊直弼は駕籠に乗り込み、徒士(かち)、足軽、草履取、駕籠かき、馬廻、馬夫など60余人を従えて、外桜田の井伊家屋敷を出立した。
 桜田門に差しかかった時、突然、供先に訴状を手にした浪人が現れて行列を乱し、銃声を合図に十数人の浪士がいっせいに駕籠を襲った。直弼は応戦もできないまま討たれ、首を奪われた。
 春三月、事件の現場の桜田門へ出かけた。井伊家のあった場所は現在、警視庁庁舎が聳えていて、そこから桜田門までは僅か100メートル余り。歩数を計りながら行ったり来たりしていると、若い警察官が近寄ってきて、問うた。
「あなた、何してるんですか」
 不審そうな表情である。とっさに、
「殺人事件の検証をしてるんです」
 と答えた。その瞬間、警察官の目の色が変わった。
「殺人っ?!」
 向こうから年配の警察官が近づいてきた。私はなおも計測を続けた。若い警察官が年配の警察官に何やら話している。面倒な雰囲気になってきたので、
「桜田門外の変、井伊直弼が討たれた事件ですよ」
 と説明した。二人の警察官はとたんに、そうか、と言って笑いだし、「最近は怪しい人がいますからねぇ」と聞こえよがしに言って、去っていった。
 急に、恐ろしさがこみ上げた。井伊の時代といわず昭和戦前までは、怪しいと睨まれたら、国家機密法とやらに引っかけられ、たちまち投獄された。こんな時代になったらたまらないな、と取材そっちのけで考えていた。




 
2019年3月8日


老楼快悔トップページ
柏艪舎トップページ