老楼快悔 第12話『作家になれますか』

老楼快悔 第12話『作家になれますか』


 40代の若い男性が道新文化センターの「一道塾」に入ってきた。以前に私の作品を読み、機会があったら直接学びたいと思っていたという。前途有為な男性の入塾を、心から歓迎した。
 地方のローカル雑誌に書いていたといい、文章の表現力は確かに優れている。ことに心理描写はずば抜けてうまい。ただ、自己中心的な文脈が目につき、それを直せば良くなる、と判断した。
 塾では、自分の作品をみんなの前に読み上げる。照れくさいだろうが、この場は活字になって不特定多数の読者にさらす前の、習練の場なのだ。何も臆することはない。
 男性は毎回のように作品を持参して、さらさらと読み上げた。日を追って文体に変化が見えてきた。
 塾生たちの宴会で、男性は私の正面に座った。ビールを何度かお代わりして、場の雰囲気も高揚した時、いきなり「私、作家になれますか?」と質してきた。思わず、うっと唸った。塾で学ぶ人は、大なり小なり、そんな気持ちは持っていようが、直接、面と向かって聞いてくるのは、極めて珍しい。
 周囲は一瞬、静まり返った。男性は真剣な表情で私を見つめている。「作家になれるかって、難しいね、作家って」。とっさに、あいまいな返事をした。
 本人が作家になれるか、ということよりも、物を書いて生きていくことの難しさと、昨今の活字離れや出版界のありようを言おうとしたのだ。だが相手は、作家は難しいと言われ、自身の能力を否定された、と受け取ったようだ。
 急に飲み方がひどくなり、浴びるように飲んだ。側にいた塾生がたしなめたが、勢いは止まらない。飲み放題の宴会は二時間続いてお開きになったが、若者は帰る車の中で体調を悪化させ、すべて吐いた、と後に聞かされた。
 それっきり男性は塾に姿を見せなくなった。作家になりたくてしょうがなかった若者の芽を、おのれの一言で摘んでしまった、とひどく後悔した。もっといい言い方がなかったのか。
 老獪という言葉がある。好きな言葉ではないが、年齢を重ねた人間だけができうる表現の妙というものを、もっと知るべきだ、と反省した。人間、いくつになっても悔悟の日々というのは情けないが、それが人生というものなのだろう、としみじみ思う。




 
2019年2月28日


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