老楼快悔 第7話『元日に書く「遺書」』

老楼快悔 第7話『元日に書く「遺書」』


 元旦になると必ず書くものがある。まず最初にこの一年になすべきこと、もうひとつが「遺書」である。死を前に、あるいは死を意識したものではないから、正しくは「遺書」とはいえまいが、そう思いつつ毎年繰り返す、自分だけの年中行事なのである。
朝、食事を済ませてから、仕事部屋に入る。筆と紙片を取り出し、今年計画されている仕事を列挙する。計画されていない、まだ願望の域にあるものでも、今年こそ、と思ったら、書く。
次が「遺書」だ。この場合、本当に、死を目前にした気持ちで書く。誰にも読まれない自分への「遺書」だ。そしておのれの生涯とはどんなものであったか、と振り返ってみる。
高校三年の時、父が亡くなり、父の経営する会社が倒産した。高校だけはなんとか卒業させてもらい、独学をしながら新聞社のアルバイトを続け、想像もできない倍率の新聞社の採用試験に合格。以後、道内各地を回った。退職後は3つの大学の講師をかけ持ちしながら、ノンフィクション作品を書き続けた。振り返って己の生涯は父の死がすべて、と思う。
父の死の少し前、殴られるのを覚悟で、自分の決意を告げた。
「父さんの仕事は継げない。俺、新聞記者になりたい」
そのころ高校新聞の新聞部長をしていてい、書くことへ興味を募らせていた。父がその言葉に少し顔を歪めた。腰を浮かせようとした時、
「やってみろ。探訪記者をやれ」
と言った。あまりにあっけなくて、腰が抜けた。
父が亡くなって、会社がつぶれた時、年配の社員のひとりが「長男が後を継ぐと聞いていたのに」と悔し気な表情で言った。父と約束していただけに、返す言葉もなかった。
父が亡くなって、生きていくことの厳しさを肌で実感した。父と約束した新聞記者など夢のまた夢だった。ただひとつ、父の死で、挫けない心、というものを授かった。夢に向かってがむしゃらに走り続けた。
だからその反面で、家族には、自分勝手でわがままな存在だったのではないか、と思う。こんどの元旦には、そんなことを思い出しながら、感謝の言葉を書こう、と思っている。誰にも読まれないはずの自分への年賀状に。


 
2019年1月4日


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