老楼快悔 第6話『開陽丸、咸臨丸、ありがとう』
平成30年は「北海道命名150年」というので、関連書籍を複数出版させていただいた。
『夜明けの海鳴り―北の幕末維新』(柏艪舎)や『松浦武四郎、北の大地に立つ』(北海道出版企画センター)、『古文書が伝える北海道の仰天秘話51』(寿郎社)などで、そんなこともあって講演の依頼が相次いだ。
もっとも多かったのは「北海道」の命名者の松浦武四郎に関わるもので、札幌だけでもざっと20回、函館で4回、小樽、旭川、石狩、北広島、恵庭、江別、滝川、新十津川、鷹栖、美深、広尾など合計ざっと40回。ほかに東京など本州の開催も数回に及んだ。新聞記者時代も忙しかったが、退職して24年、この年ほど多忙を極めたことはない。
函館の講演はいずれも「箱館戦争」に関わるもので、蝦夷島臨時政権、つまり旧幕府脱走軍の榎本武揚側の視点に立つ内容。また江差の講演「開陽丸沈没150年記念」も箱館戦争の最中、暴風雨により鷗島沖で旗艦開陽丸を失うという内容だった。
だが乙部の講演会は「官軍上陸150年記念」。旧幕軍を討伐する新政府軍の艦隊が乙部に上陸し、松前、箱館を奪い返して鎮圧する話だった。この町には「官軍上陸碑」が立っており、上陸した館の岬の断崖は名所となっているのだ。
木古内の講演「咸臨丸沈没150年記念」は、旧幕艦隊の輸送船だった咸臨丸が、明治維新後、開拓使の官船になり、仙台藩白石城片倉小十郎家臣ら401人を乗せて北海道へ向かう途中、木古内の更木岬沖で沈没した。だがいまだ船体はみつかっていない。オランダの文化庁が東京海洋大学の協力を得て、「水中遺産」の探索が始まっている。
講演をしながら思うのは、その土地、その地域だけが抱く歴史認識の微妙な違いである。開陽丸を江差で失い愕然となる榎本。その反面で開陽丸を「賊船」と呼んだ姥神大神宮の神官の心情。一方、上陸した新政府軍を案内する乙部の村人たち。戦いはその地に住む人々を巻き込んで、対立した状況を形成していく。
こうした歴史的事実が複雑に絡み合って、その町、その地域の、官軍びいき、賊軍びいきにつながっていく。歴史が投げかけた事実の重みに打ちのめされてしまう思いだ。
長い歳月が流れて、二つの船が渡島半島の日本海側と太平洋側に沈没したことに、不思議な感慨を抱かずにはいられない。そして、ふらちな気持ちではなく、心から、開陽丸よ、咸臨丸よ、よくぞ、この海域で沈んでくれて、ありがとう、と声を限りに叫びたい。
2018年12月14日
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