老楼快悔 第4話『「尊属」の持つ意味』

老楼快悔 第4話『「尊属」の持つ意味』


 前回、拙文を読まれた方から、「刑法に尊属殺人というものがあったとは」との驚きの声が寄せられ、手元にある「六法全書」(昭和45年度版)をめくりながら、遠くなった“あの時”を考えていた。
 昭和43年10月5日夜、栃木県矢板市の市営住宅で、和枝(29)-仮名-が眠っていた植木職人の父親(52)の首を紐で絞めて殺した。警察の取り調べから父娘の想像を絶する関係が浮かび上がった。この父娘は長年にわたり夫婦同然の暮らしをし、子どもが3人もいるというのだ。なぜこうなったのか。
 父が母の目を盗んで娘和枝を犯したのは、娘が中学2年、14歳の時。訴えに驚いた母が問い詰めると、父は逆上して包丁を振り回した。母は下の子ども5人を連れて親戚のいる北海道へ逃れた。
 母が戻ってきた時、17歳の和枝は妊娠していた。困り果てて田植えの手伝いに来ていた若者に泣いてすがり、逃げ出すが、途中で引き戻される。そして長女を出産。父は異常性欲者と化し、和枝をそばから離そうとしない。市営住宅に移って父と娘は十年余り暮らし、この間に5回も妊娠中絶をしながら4人の女子を産み、うち2人は亡くなる。
 昭和43年春、和枝は町の印刷工場に働きに出るが、そこで若い工員(22)と知り合い、結婚を申し込まれる。それを知った父は「殺してやる」とわめいた。和枝は若者と逃げようとするが、捕まえられる。
 事件当日の夜、父は「お前が出ていくなら子どもたちを始末してやる」と怒鳴り、酒をあおり眠りについた。娘は、もうだめだ、と思った。この父親がいるかぎり、自由も何もない。父の仕事箱の中から植木を縛るのに用いる紐を取り出し、眠っている父の首に巻きつけ、力いっぱい引いた。
 宇都宮地裁は昭和44年5月、弁護側の主張をほぼ全面的に入れて、「尊属殺人は法のもとに平等をうたった憲法14条に違反しており、被告の犯行は一般の殺人罪を適用し、過剰防衛と認定したうえで、情状を酌量して刑を減免する」と述べた。だが、二審の東京高裁は一審判決を破棄して「合憲」とし、情状酌量して最低刑の判決を言い渡した。
 最高裁はこの時期、三件の尊属殺人の上告審を審理していたが、昭和48年4月4日に大法廷で「尊属殺人は違憲である。よって原判決は破棄する」と宣言した。法廷はどよめいた。和枝は懲役2年6か月、執行猶予三年が言い渡された。
 この犯罪を「昭和史の闇(1960-80年代)現場検証」(新風舎文庫)で取り上げた。殺人現場を歩いた後、和枝が住むという宇都宮の町を訪ねた。すでに60代になっているはずであった。その後の話を聞きたかった。家の前まで来て、ふいに判決の日の新聞に出ていた彼女の言葉が蘇った。
「これで、胸にこびりついていた離れなかった嫌な過去をやっとぬぐい去ることができました。あしたから一切を忘れようと努力します」。
 いま会って、話を聞いて、書いて――、それがどれほどの意味を持つのか、と反問した。書かない勇気の方こそ大事ではないか。そして穏やかな晩年であることを、心から祈った。

 
2018年11月19日


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