老楼快悔 第3話『法廷に持ち込んだ録音機』
いまも忘れられない裁判がある。帯広で駆け出しの事件記者をしていた頃、十勝管内のある町で、22歳の若者が父親を殺害する事件が起きた。若者は町の青年団長を務め、仲間からの信頼は絶大だった。
その頃、刑法200条に「尊属殺人は死刑又は無期懲役」と定められており、断罪は必至だった。
裁判は一週間に一度くらいのペースで進んだ。被告人は起訴状通り、酒癖の悪い父親をこん棒で殴って殺害したのを認めており、争点もなく、そのまま進行すると思われた。何度目かの時、担当のM弁護士から「明日の法廷を必ず取材するように」と言われた。(当たり前じゃないか)と思いつつ、その意味を読み取ることができなかった。
裁判が始まり、すぐに弁護人が立ち、
「被告人は法廷で本当のことを話していない。真実の言葉を聞いてほしい」
と述べ、録音の再生を求めて、裁判官や検察官の同意を得た。
実は弁護人は、犯行に疑念を抱き、被告人と何度も面会して本音を聞き質し、それを録音に収めたのだった。まだ録音機などあまり普及しておらず、被告人自身も、自分の声が録音されたのを知らなかった。
録音機が回りだした。
「父は……、酒癖が悪く……、母や、幼い妹にまで乱暴して……、いっそ……、動けなくして……、そう思い……、足を……、折ってやれ……」
録音機の被告人の声が響く。と同時に、被告席の若者が叫んだ。
「先生っ、きたないっ!」
その場に崩れ落ち、声を上げて泣きじゃくった。弁護人が近づき、肩を抱いて慰める。その弁護人の目からも涙が溢れていた。
その日の裁判はそれで閉廷になり、後日、改めて開廷され、殺意はなかったとして訴因が「尊属殺人」から「傷害致死」に変更され(刑事訴訟法第312条2項)、懲役三年の判決が下り、刑が確定した。
最高裁大法廷が「尊属殺人は違憲」との新判断を下したのはそれから十数年が経過した昭和48年(1973)年4月4日。駆け出し記者が体験したあの日の法廷が、いまも瞼に浮かぶ。
2018年11月1日
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