老楼快悔 第1話『高楼は地震に揺れて』
老楼快悔 第1話『高楼は地震に揺れて』
先日、つまり2018年9月6日未明に起こった大地震は、札幌市豊平区のわがマンションを大きく揺さぶった。11階の書斎は、一番手前の端に積んだ書籍が崩れて、押し戸を塞いでしまい、隙間から鉄棒を入れて、崩れた書籍を押し倒してやっと中に入るなど難儀を極めた。
一番困ったのは電気と水が止まったことだ。テレビもラジオも鳴らず、東京の息子から携帯に電話が入った時は、「いま世の中はどうなってるんだ」と訊ねたほどうろたえていた。
エレベーターも停まってしまい、足の不自由な老妻は家に籠もりきり。意を奮って一度、一階の玄関まで歩いて降りたが、戻る階段の長いこと、長いこと。老体にはひどく堪(こた)えた。
丸一日過ぎて翌朝になり、同じマンションに住む知人の女性がやってきて、「困ったことはないか」と訊ねたので、迷わず電源切れの携帯を差し出した。四時間も経過して女性は小学生の娘とともに、充電した携帯と、飲料水を持ってきてくれた。私は喜び、手元にあった拙著を取り出し、その場でサインして手渡した。娘さんは目を丸くして驚き、嬉しそうに本をギュッと抱いた。
少し経って、先ほどの女性と一緒に、こんどは高校生と中学生の男の兄弟が、水を持って駆け上がってきた。マンション前のクリーニング店の兄弟だという。感謝の言葉をかけてから、また本を取り出し、サインをして手渡した。兄弟が顔を見合わせてにっこり笑った。
あの日を境に、近所の子どもたちの間で、「あのマンションの11階に、爺さんの作家がいる」と話題になったらしい。同じマンションなのに、どんな人が住んでいるのかさえわからない“札幌砂漠”なのだ。
もし、地震がなかったら、知り合えなかった子どもたちである。老妻の「高層マンションはもう嫌。住まいを換えましょう」との嘆きを聞きながら、突然、不幸に陥った時にだけ味わえる“人情の機微”を重く噛みしめた。
2018年10月2日
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