●ノースガール

アメリカンオンライン・インスタントメッセージ
ノースガール999から 一月十四日午後九時四十一分

ノースガール999
 : ハイ、ヨナ!
Jブラック94710 : やあ、ノースガール。どうしてた?
ノースガール999 : 万事順調よ。新しい彼氏もできたし。
Jブラック94710 : 残念だな。きみはずっとぼくを待っててくれると思ってたのに。
ノースガール999 : 待ってるわよ、お馬鹿さん。あたしが誰だか見つけてくれたら、すぐに今の彼とは別れて、あなたとつき合うわ。どう?
Jブラック94710 : わかった。じゃあ、きみが誰だかわかるような手がかりをくれないか?
ノースガール999 : さあ、それはどうかしら。
Jブラック94710 : 頼むよ、ひとつだけでいいからさ。このままじゃおかしくなっちゃうよ!
ノースガール999 : あたしのことを考えておかしくなっちゃうんならうれしいわ。そしたら、あたしの気持ちがわかるだろうから。
Jブラック94710 : ヒントすらくれないのか?
ノースガール999 : じゃあまず、知っていることを教えて。
Jブラック94710 : きみについて知ってること? そうだな、きみは、いつもぼくのそばにいる人間だって言ったよね。
ノースガール999 : そのとおり。
Jブラック94710 : それから、ぼくのことならほとんどなんでも知ってる。
ノースガール999 : ええ。
Jブラック94710 : あと、きみは女の子だ。約束してくれるよね、絶対女の子だって? まさかボンド先生とかじゃないよね?
ノースガール999 : ロベールのこと?
Jブラック94710 : 嘘だろう―ボンド先生の馬鹿みたいな名前まで知ってるんだ。
ノースガール999 : ヨナったら。ドン・シューラの生徒なら誰だって、ボンド先生の馬鹿みたいな名前ぐらい知ってるわ。
Jブラック94710 : ちょっと待った。きみもドン・シューラの生徒なの?
ノースガール999 : もちろんじゃない。
Jブラック94710 : 初耳だよ。すごいヒントだ。
 

●ケイトリン

ポージーは、ラマーのダイブを見ていたが、黙ったままだった。そのときラマーが飛んだのは、前逆宙返り三回という型で、ほぼ完ぺきな演技だった。なのにポージーは、身じろぎもせずに凝視しているだけで、ポージーの代わりに、イーリー高の応援席にいたカサンドラが悲鳴みたいな歓声をあげた。「すごいわ、ダーリン!」ラマーは水面に顔を出すと、カサンドラに笑いかけ、気がつけばポージーは席を立って、観覧席をあとにしていた。
 ソーンとケイトリンに視線をむけると、なんとふたりはキスしていた。それもただのキスじゃない、ディープキスだ。これはすぐに消え去る妄想、ぼくの想像にすぎない! だがちがった。ケイトリン・ホフとソーンは、本当にキスしていた。信じられなかった。
 もっとも、ポージーの妹にはまるで関心がない。というのも、彼女がぼくを本物の馬鹿だと思って、いつもうとんじているからだ。だが、腹が立つのはそれだけではなかった。この前砂丘で、屁みたいにくさいタバコを吸いながらモリーの話をしたとき、どうしてソーンはケイトリンのことを一言も言わなかったのだろう。なんでも腹を割って話してくれないソーンにうんざりするときがある。それとも、ケイトリンとのことは秘中の秘なのか? とてもそうは見えなかったが。しかしそのうちに、何も話してくれなかったのは、ケイトリンとつき合っていることをあいつが自覚していないからかもしれない、と思った。あいつのことだ、自分がケイトリン・ホフとつき合っていると気づくのは、実際にやってから五分後なのだろう。
 とにかく、ぼくの咳払いを機に、ふたりは唇を離して一息入れた。ソーンはぼくを見ると、思いっきりにやついた顔で言った。「ワオ、ケイティ。今、見ないほうがいいぜ。ヨナのヤツ、なんか気づいたみたいだからな」
 ケイトリンは、怒りのこもった視線を投げてきた。外見はポージーそっくりだが、性格はまるっきりちがう。太陽みたいなポージーに対して、ケイトリンは土砂降りの雨だ。「ヨナがなんだっていうの?」さもうんざりといった声だった。
「ふたりとも気づいてないかもしれないけど、ポージーが帰っちゃったんだよ。なんか様子が変だったぞ」
「だっから帰ったんでしょ」十年生にそんな口のきき方をされるとは。ケイトリンは、いかにも馬鹿にした顔をしながら、耳にかかった髪をさっと払った。ぼくはもの問いたげにソーンを見た。相棒、おまえいったい何考えてるんだよ?
「で、ヨナ。いつもみたいにお姉ちゃんを追いかけないわけ?」
ポージーを追いかけるなど、どうしようもなくくだらないみたいな口ぶりだったが、すぐに言葉をついだ。「ま、いいわ。あたしが行くから」ケイトリンは席を立ち、ポージーが去っていったほうへ歩いていった。ポージーを追いかけるのがくだらなく思えるのは、追いかける人間がぼくの場合だけなのだろう。
 試合はもうすぐ終わりだった。残すはドン・シューラのお粗末なダイバーふたりのみ。とても見ていられなかった。
「なあ、ソーン。おまえのガールフレンドはぼくのこと気にくわないみたいだな」
「まあな。はっきり言ってきらってるぜ、相棒」
 これまでにケイトリンとは、確か二回しか言葉をかわしていないはずなのに。「どうしてきらわれてるんだ?」

●ソフィー

 ヨナ―わたしは、頭のおかしな人たちに囲まれて、ひとりぼっちでここにいます。わたしはおかしくなんかないのよ。でもこれ以上ここにいたら、きっと変になるわ。どうしてみんなは、わたしが変だって言うのかしら? 教えてあげましょうか? それはね、わたしがあなたを愛しているからよ、ヨナ。あなただけだもの、わたしのために自分を犠牲にしてくれたのは。わたしを助けるためにあなたが退学させられたなんて、いまだに信じられないわ。それなのに今、わたしはまた助けを求めているの。もうわたしのことなんかきらい? 返事を書いてくれないんですもの。わたしが生きていることすら、知らないのかもしれないわね。でも、わたしは生きているのよ、ヨナ。しかも、ひとりぼっちなの。ここにいるのは、精神分裂病と拒食症の女の子ばかりで、みんなとても怖いのよ。今日ある女の子に言われたわ。「あたしもここに来たばっかりのころは、あんたみたいだったわ。いつか出られるって思ってたのよ。けど、そんな希望はとっとと捨てるのね」って。それから、手首を切った跡を見せてくれた。ヨナ、すごく怖いの。とても頑張れないわ。でも、このメールだってあなたには届かないかもしれないわね。さようなら、ヨナ。わたしがいつでもあなたを愛していたことだけは忘れないでね、お願いよ。今まで一度も、自分の気持ちを素直に伝えられなかったけれど。もう、あなたのことを考えるのはやめるべきかもしれないわね。二度と会えないんですもの。

 返信ボタンをクリックして、返事を出そうとした。きみが思っている以上にそばにいるんだ、ソフィー。だから待ってて。だが何度やっても、返信メールはもどってきた。〈送信先不明〉。〈マギンズ〉のセキュリティシステムのせいにちがいない。
ソフィーのメールをもう一度読みなおした。ものすごく動揺している。動揺しているなんてもんじゃない。悲しくて、気が変になりそうで、もう自分で自分がわからなくなってきた。
行動に出よう。後悔するのはわかっている。だが、とにかくやろう。やらなければならないんだ。

 

●ベッツィー

サリバンは、中庭の公衆電話の前で足をとめ、受話器に手をのばした。ぼくは両手をかたくにぎりしめ、あいつにむかっていった。
 そのとき、骨折したほうの肘をつかまれ、背中を押された。「いっしょに来てちょうだい、ミスター・ブラック」女の人の声だった。
 ふり返ると、ミラーサングラスに白い帽子という格好の女性警備員が、ぼくを駐車場にむかわせるべく背中を押していた。サリバンがこちらを見た。絶対にぼくだとわかったはずだ。夜の闇の中へと走り去っていくパトカーの後部座席に座らされたぼくを見送って以来、はじめてぼくを見たサリバン。また逮捕されてよかったな、とでも言わんばかりに、あいつは親指を突き立てて見せた。
「あなたの車はどれかしら、ミスター・ブラック?」警備員に訊かれたが、言葉も出てこなかった。父親のメルセデスを指さす。「乗ってちょうだい」ぼくがメルセデスに乗りこむと、警備員はぐるっとまわって助手席のドアを開け、となりに座った。
「出して」
「いったいどこへ―」
「出して」警備員はくり返した。
 ギアを入れ、ランカスターパイクに出た。とは言え、ハンドルがうまく切れず、もう少しで、角にある消火栓にぶつかるところだった。
「ヨナったら」警備員が言った。「相変わらず運転がヘタなんだから」
 見ると、彼女はニヤリとしていた。そして、白い帽子とサングラスをとった。
「ベッツィ! 嘘だろう。警備員じゃなかったのか。逮捕されると思ったよ!」
「いざとなればするわよ。それにしても、キャンパス内をうろつくなんて、どうかしちゃったの?美術室で女の子に会ったでしょ。彼女が警備員に連絡してきたのよ。その電話をとったのがたまたまあたしだったからよかったけど。本当についてるわね」
「いつから校内警備員の仕事なんかしてるんだい?」
「父が体をこわしてからよ。キャンパス内でバイトしないと、マストヘッドの高額な授業料が払えないから」
 ベッツィはきれいだった。顔の右側に、茶色い髪が一筋かかっている。喉元に血管が一本、青く浮き出ているのに、今はじめて気づいた。白い肌の下で脈打つ、青い血管。すごく大胆で、カッコよかった。どうしてもっと前に気づかなかったのだろう。


●ティファニー

「あなたの妹のこと、オナーよ。彼女、ああいう色は好きかしら? 模様替えするのよ」
微笑んだ。「みんなはあいつのこと、ハニーって呼んでるよ」
「あたしはそんな気ないから」
 ぶん殴ってやりたかった。あたしはそんな気ないから、だと? ハニー本人がハニーと呼ばれたがっている以上、ティファニーもそう呼んでしかるべきではないか。
「とにかく、彼女はあの色、気に入ると思う?」
 懸命に笑いをこらえた。ティファニーの趣味は、ハニーとは相いれないものばかりだったからだ。だが、多少ともハニーに歩みよろうとした点だけは評価してあげないと。
 いや、そうか? ちょっと待て。ティファニーは、ハニーに歩み寄りたくなんかないんだ。もし本当にそんな気があれば、模様替えをする前に、この部屋をどんなふうにしたいか、ハニーに直接訊いただろう。ひょっとしたら、ハニーがむかつきそうな色をわざと選んだのかもしれない。あんな色の部屋で一晩すごすくらいなら、ハニーはこの家を出ていく。ティファニーにも、それはわかっていたはずだ。
「さあ、どうかな。どれもきれいだとは思うよ。ただハニーは、ピンク大好き人間てわけじゃないから。だけどあいつだって、あなたがわざわざ時間をさいて模様替えしてくれたことに対しては、ちゃんと感謝するよ」
「そうかしら? 妹さんがあたしの費やす時間と労力に感謝するなんて、本当に思うの?」
 うなずいた。
「まあ、いいわ」どうでもいいことを話しているみたいに、さらりと受け流されてしまった。「オナーの好みをあれこれ考えたって意味ないし」
「意味がない?」
「ええ」片手をのばして、たっぷりとしたブロンドの髪を持ちあげた。
「あの子、この家から逃げ出してったんですもの」持ちあげた髪を、バサッと落とした。
「逃げ出した?」
「そうよ。やっぱりハーバードに行くってね」ティファニーは、壁に立てかけてあった、あのピンクのバラの花びらが描かれた壁紙を引っつかむと、その部屋をあとにした。内装品店に注文の電話をしたにちがいない。ハニーがピンクを好まないことがわかったあとで。



 

COPYRIGHT © 2001-2008 HAKUROSYA ALL RIGHTS RESERVED.