タクシン広場にて
幕末の影が色濃く残る東京と小樽を舞台にした物語が、トルコの人々にどう映るのか。そもそも、理解してもらえるのか。ここは是が非でも自分の目で確かめなければ! そう意気込んで、私は劇団に随行することを即決した‥‥。
成田を発って12時間あまり、5月12日の現地時間で午後7時40分。イスタンブール空港で私たちを出迎えてくれたのは、南国のフルーツとココナッツを混ぜたような甘い香りと星々のかけらをちりばめたかと見紛うほどの美しすぎる夜景だった。ホテルにチェックインするなり、長旅の疲れも物ともせず、私たちはイスティクラル通りのチチェキ・パサージュへ向かった。重厚な石造りのアーケードに設えられたレストランで、トルコの楽器の生演奏と唄、美味しい料理の数々と地元産のワインを心行くまで堪能したのだが、実はこの夜こそが、15日間に及ぶ長い旅の本当の始まりだったのだ。
翌日は、朝早くから日本総領事館やイスタンブール市役所、ナーズム・ヒクメット文化芸術財団等への表敬訪問やら、バフチェシェヒール大学でのシンポジウムやらと息つく暇もない忙しさ。同行の幹部女優さんたちは、仕事柄お身体を鍛えているためか、ハードスケジュールの中でも笑顔を絶やさず、現地の要人との通訳を介しての会話にも花が咲く。片や私は、30℃近い気温のもとで着物を身につけたのが仇となって、汗(冷や汗も含む)を拭うのに精一杯という有様だった。
私たちが「外交」に励んでいる間、収容人員1,200人を誇るアティラ・イルハン劇場では、公演の準備が大車輪で進められていた。芝居で使う火鉢や食器、らんぷ洋燈などの小道具は、人間と同じ航空機でトルコ入りしたのだが、人力車や石灯籠や建具などの大道具は船便では間に合わないため、現地制作となっていた。その出来栄えたるや、まさに圧巻! 確かに、幹は松で葉は柳という庭木があったり、石灯籠に宝珠や請花がなく茸のような笠をかぶっていたり、人力車の椅子が社長室の応接セットの一人掛けのようだったりと、思わずくすりと笑ってしまうようなものもあったけれど、日本から送られた資料だけを頼りにそこまで作り上げたトルコ人スタッフの熱意と器用さには脱帽するばかりだった。
(次号へ続く)

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