『祭――感動!! 北海道の祭り大事典』発刊記念 中尾則幸先生インタビュー

『祭――感動!! 北海道の祭り大事典』発刊記念 中尾則幸先生インタビュー

4月に発売された『祭――感動!! 北海道の祭り大事典』の著者、中尾則幸先生に
本書を書かれたときのお話をお伺いしました。



編集部 本書は8年間映像を撮りためたものだということですが、この祭りを撮るようになったきっかけについて教えてください。

中尾則幸先生(以下「中尾」) もう9年前になりますけど、議員を辞めて、もう一回、いちディレクターとしてスタートしようと決めたときに、新千歳空港のトップの方が声をかけてくれました。新千歳空港の館内の2階にセンタープラザという大きな広場があるんです。そこに大型ビジョンなどが50台くらいあったんです。今は縦型のモニターになって、コマーシャルっぽくなったんですけど。館内のテレビと大型ビジョンで流す映像を作ってくれないかと言われたんです。
あそこは北海道の空の玄関口でね、年間、1600万人が利用するんです。「北海道の最大の拠点空港でありながら、北海道のPRが全然ないじゃないですか」って言ったら、「やって」って言われたんです。それで9年前に始まって、祭りの前に、「北海道ふるさと紀行」という番組で歴史や文化とか、グルメ、温泉なんか全部入れた10分の番組を作っていました。その中に祭りも入ってたんです。そしたらそれを観たそのトップから、「祭りを最低5年追いかけてくれ」というオファーがあった。それじゃ、シリーズにしようとなって、それで「シリーズ北の祭り」を撮ることになったんです。毎月1本ずつ。そこで撮った祭りは約100本を超えてるんです。
後は、「花シリーズ」として、花の祭りも撮りました。映像でふるさとの物語を作ろうということで始めたのがきっかけです。最後に取材したのは、去年の8月取材の沼田の夜高あんどん祭り。これは前にも撮ったんですけど、もう1回ハイビジョンで取り直そうというのもあったんです。ですから足掛け8年になります。
 
編集部 撮っていたときのエピソードは何かありますか?

中尾 今金のけんか太鼓(今金八幡宮例大祭)のときはやっぱり、聞こえないもんだから、スタッフと怒鳴りあいですよ。僕も無視されたと思って、「冗談じゃない、おれはもう今日帰る」って言ってね。人出も多いし、夢中になって撮ってるしね。
それから登別地獄まつりでは、はぐれて30分探しまわった。そういう意味ではね、やっぱり祭りってのは闘いだなあと思いましたね。木古内の寒中みそぎ祭りなんかは全国に知られてるから、カメラマンが林立するんですよ。そこで始まるのが場所取り。これがまた大変なんです。
あとは、オホーツク紋別の取材の時も蟹漁船に乗せてもらうんですよ。8時間、トイレもない。リポーターもみんな、時化でもがんばるんです。僕は船酔いしてだめでした。グルメの祭りなんだけど、必ず現場の漁船に乗るんです。そういう生活から知りたい、織り込みたいんです。そういう中に、漁師さんの思いだとかあるじゃないですか。そうすると祭りの見方が少し変わってくると思うんです。おんなじ祭りを見るのでも、ちょっと歴史を見たり、ルーツを知ったりすると、違って見えてくる。そのきっかけになればなあと思っています。

                 「木古内寒中みそぎ祭り」

 
編集部 祭りを運営してる人との絆も生まれたんでしょうね?

中尾 本の中にも書きましたけど、例えば冬祭りなんていうのはね、支笏湖氷濤まつりとか、層雲峡氷瀑まつりとか、しかりべつ湖コタンとか、氷点下20度のところのお祭りなんかを取材していると、やっぱり親近感が生まれますね。吹雪くし、カメラも凍り付いて撮れなかったり。そんな厳しい中で、あんな寒い中でね、取材しているとシンパシーが生まれるんですよね。みんな表にでない黒子なんですよ。祭りの華やかさの裏で頑張っている人がいる。そういう支えがあって、祭りが成り立っている。人を撮ることにこだわったんです。
美瑛もそうです。あの美瑛の、華やかな、すばらしい祭りもある。それから花畑や丘もすごい。そこに生活がある。歴史、ルーツがあるんです。祭りには歴史がある。ふるさとの物語を少しでも見てほしいなと思っています。
由仁町の百足祭りや沼田の夜高祭り、五稜郭祭もかれこれ40年ぐらい前からテレビでディレクターをやっていた時から撮っているんです。長靴アイスホッケーなんかもスタート当初から追いかけています。今回も取材に行ったら、当時取材した人と再会して、「ああ四十年経ったのか、お互い年取ったね」って一緒にお酒飲んで。お互いもう白髪になってる。なんかすごい感動しましたね。

編集部 昔からそうやって追ってきてるから背景も見えてるんですね?

中尾 そうなんです。

編集部 人を撮ることにこだわっていたんですね?

中尾 ええ。ここに書ききれなかったけれど、「はこだてクリスマスファンタジー」と「はこだてイルミネーション」を撮ったとき、ちょうど私の還暦の誕生日だったんですよ。私12月生まれで。スタッフが赤い頭巾と赤いちゃんちゃんこを用意してくれていました。それを着て、ホテルで食事して、お酒を飲んで、ありがとうって言って。
湯の川に泊まっていたんですけど、近くに、屋台を引いたお年よりの夫婦がやってるバスラーメンがあったんです。そのまんまちゃんちゃんこを着て行ったんです。お客さんもご主人もみんなびっくりしてね、「わあ、還暦ですか? お祝いですね」って。明日もう1日、夜景の取材があったんです。その時に私、カメラマンにね、ラーメン食べながら言ったんです。「イルミネーションだ、クリスマスファンタジーだと言うけど、函館の夜景の下には暮しがあるんだ。この屋台ラーメンの赤提灯、この存在を忘れちゃいかん」とか言ったんです。それで、明日必ずここに取材に来るとマスターにも言ったんです。
それで帰って。次の朝ちょっと忘れてたんですよね。そうしたらスタッフから、「今夜、必ず撮りに行くって言って、バスラーメンのマスター喜んでましたよ」って言われてびっくりしちゃって。やっぱり約束だから行きました。8時くらいに行って。気合い入れて屋台ラーメンの暖簾だとか撮って、そしてロープウェイで函館山に登りました。そうすると烏賊の漁火がちょうど出てるんです。
そしたら、スタッフが「中尾さんの言ってる事がわかりました」と言うんです。「なんか忘れてたようですけども……。やっぱり、屋台ラーメンの赤提灯はここからは見えないけど、庶民の光があっての百万ドルの夜景なんだっていうのがわかりました。テーマはこれなんですね」と言うんです。やっぱりそこにこだわって作ってきましたね。庶民の生活の灯を撮らないで、何がファンタジーだって酔っ払っても言ってたんですよ。

                「はこだてイルミネーション」

 
編集部 映像を流して反響はどうでしたか?

中尾 結構反響ありましたよ。新千歳空港はみんな通りすがりの人だけども、結構観光客から問い合わせがあったり、こんな祭りがあるって知らなかったとか、今度行ってみたいとか投書があったり、木古内の寒中みそぎまつりは北海道新聞の地方版で取り上げられたりしましたね。だからやっぱり、見てくれる人はちゃんと見てくれてんだなと思いました。

編集部 百本撮ってきて一番感じたことというのは何ですか?

中尾 北海道も意外と歴史があるなと思いましたね。鰊と石炭、どっちも衰退したでしょ。なんかそれがね、ものすごく胸に迫ってくる。産業は衰退したけど、祭りは生き残ってる。夕張は黒ダイヤ祭りがなくなっちゃったけども。祭りは、ふるさとの語り部だと思うんです。根本にある人の営みだとか、歴史だとか、ルーツを残して後世につないでいる。

編集部 生の歴史を伝えているんですね?

中尾 そうなんです。何よりもね、そこに懸ける大人たちの情熱が世代を超えて伝わっている。祭りを通してふるさとが見えてくるんじゃないかと。ふるさとを去った人なんか、特にね。一年に一度戻ってくるふるさとがある。そこには住んでないけど。確かに過疎で大変だけれど、過疎よりも怖いのは忘れてしまうことです。祭りを応援する意味でも撮り続けていきたい。
能取湖のさんご草まつりは、ぼくらが2006年に撮影した時にはものすごく珊瑚草が鮮やかだったんです。でも段々立ち枯れみたいになってきて、塩害だろうということで二年前に堤防を作った。ところが、それが原因で全部だめになっちゃった。真っ黒になっちゃんたんです。今回この本を作るときに、中止してるだろうと思って観光協会の会長さんに電話したんです。そしたら、続けてるって言うんですよ。そして今年が、五十回の記念なんです。この祭りの火を消さなかったってすごいことだと思うんです。来る人は減ったけど、全国から来てくれてる人がいる。涙ぐむようないい話でしょ? 今は珊瑚草の再生に懸けている、今はまだ全盛期の2割ぐらいだけど、「珊瑚草は必ず蘇りますから、待ってて下さい」って。感動しましたね。

                  「能取湖さんご草祭り」


編集部 すごいですね。

中尾 中には江差の370年続いてきた祭りがある。木古内の寒中みそぎは180年の歴史がある。戦争時代も続けてきた。先祖から伝わってきた祈りの火を消すわけにいかないって。すごいなって思いました。祭りには歴史があるなって。この本を通して北海道が少しでも見えてくればいいなって、好きになってくれればいいなって思うんです。

編集部 撮りためてきた映像を本にするのは大変でしたか?

中尾 ずうっと放送台本を書いてたんです。だけどね、放送は結局映像と音声があるもんですから省略して書く。ところが本になるとそうは行かない。「ここで音」っていうのはいらない。でも、慣れたらすごく楽しくなりました。毎晩、缶ビール一本飲んで一日を終えていたんですよ。そんなことしたらね、原稿書けないから去年の十一月から晩酌をしなくなりました。今も飲んでません。

編集部 本書を通して一番伝えたいことはなんですか?

中尾 ふるさとです。ふるさとの愛と誇り。ふるさとの温もりを伝えたい。だってみんなどこかで生まれてるわけでしょ? それはやっぱり原点かなと思います。都会で生まれようが何処で生まれようがね。ふるさとってのがね。それがだんだん歳を取ってくるにしたがって、この良さがわかる。
昔は僕も、開拓のルーツにはあんまり興味がなかったんです。ここにも書いてありますけど父が石川県、母が福島県。祖父の代で北海道にわたってきました。みんなそうなんですよね。そんなに強く意識したことなかったんだけど、だんだん歳を取ってきて、感じるものがありますね。北海道の発展にはやっぱり開拓者たちの苦労があったんだと。
美瑛の丘も、やっぱり100年以上苦労して開墾し、飢えと闘い、寒さと闘ってきた歴史がある。その歴史の上にこの花が咲いている。そういう見方ができるようになった。生活があるんですよ。小麦を植えたり、白いジャガイモの花が咲いているのも、決して見せるために作ってるんじゃない。苦労して苦労してようやく恵まれない丘陵地を豊かな実りを得るまでにした。それをどこか忘れてやしないか。そういう目で祭りを見ると、本当の美瑛の丘の素晴らしさが迫ってくると思うんですよ。
この本を読んでいただいて、そのちょっとしたきっかけにもなればいいなと思うんです。

                  「那智・美瑛火祭り」


編集部 今後も祭りを撮り続けるんですか?

中尾 第2弾はインターネットで、今までとは一味違ったものを続けて行きたいなと思っているんです。由仁百足祭りや札幌まつりなんかもね、本当はすごい歴史のある祭りなんですよ。よさこいソーラン祭りや富良野へそ祭りも第2弾でやりたいですね。
今までテレビ局でやってきたけど、今はインターネットがあるから、チャンスだなって思っているんです。臨場感いっぱいにネットのよさを活かしてね。リポーターもみんな、仲間が集まってやりたいって言ってくれるんですよ。嬉しいですよね。いままでと一味違う第2弾を皆と楽しんで伝えたい。やっぱり祭りの裏方さんや歴史を字幕なんかできちんと伝えながら。肩肘張らないでいければなと。カメラマンは僕がやります。6月から、札幌まつりやよさこいソーラン、富良野のへそ祭りを撮って行きたいです。
みんなでやってみたいっていう気持ちが、どんな風になっていくのか、続けていくつもりです。気力と体力と資金力が続く限りね。是非ね、続けるためにも皆さんに本書を買って欲しいんです。皆さんが買ってくれればね、そこから取材費が捻出できるかもしれない。あ、俺が買った本の中から取材費になるんだなと思っていただければね。
 この8年間、祭りの取材をさせてもらって、すごく感謝してるんです。大体ひと通り撮ったということで終了したんですけど。でもまだまだ行きたいところがあるから、今度は独自につないで行きたいなというのが希望です。


編集部 読者へ何か一言お願いします。

中尾 この本を見てね、「この町に行ってみよう」「俺たちも頑張ろう」って思ってくれれば、こんなにありがたいことないです。小さな町の頑張りを少しでも、応援出来ればなあと思うんですよ。この1冊で何処まで伝えられるかわからないけれど、いろいろと思いが詰まってるんです。やっぱり好きなんです。単純に祭りが好き。現場の人が好き。やっぱり感動したい。それだから行くんです。
 この歳になって、ほんとに元気もらいますよ。だから年配の方もね、祭りに行きましょう。若い人だけの祭りじゃないと思うんです。ふるさとの祭りなんだし。僕はいま、66歳ですから高齢者です。若い者に負けられないって思っています。応援なら出来る。みんなで感動を共有して、おいしい酒を飲んで、ふるさとを盛り上げていきましょう。

編集部 これからも楽しみにしています。

中尾 はい。これからも、頑張ります。


【後記】
インタビューをさせていただいて、中尾則幸さんの北海道の祭りに懸ける情熱が伝わってきました。祭りには北海道の生きた歴史がつまっているんですね。それにしても、370年も続いている祭りがあるなんてびっくりしました。本書を読んで、今までと違った目で祭りを楽しみに行きたくなりました。
 

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