老楼快悔 第64話 えっ! 地獄の閻魔大王像が…

老楼快悔 第64話 えっ! 地獄の閻魔大王像が…


 閻魔大王像を見た時は、思わず目をみはった。寿都町歌棄の教立寺の本堂の脇。中央に閻魔像、そのそばに地獄の検査官像10体がずらりと並んでいる。なぜここに、こんな像が?
 それを問うと同寺の宗川敬晨住職は「閻魔さまは仏様なのです。地獄に堕ちた人を厳しく問い詰める仏様なのです」と言う。えっ、地獄の閻魔が仏様だって。
 まぁまぁ、それは置いて像が生まれた経緯について触れたい。
 幕府は松前藩から蝦夷地(北海道)を上知させると、安政3年(1856)、内陸にいくつかの山道を開いた。
 胆振の長万部・蕨岱から後志の寿都へ通じる黒松内山道もその一つで、佐藤定右衛門が自費で開いた。「蝦夷地の東と西が結ばれた」というので、往来する人々で賑わった。ところがその通行人を狙う盗賊が現れ、血なまぐさい事件まで起きた。
 山道の南側入口近くの蕨岱に居を構えた医師の森田利三郎は、相次ぐ事件に困惑した。利三郎は和歌山藩の武士の家に生まれ、藩校で学んだ後、華岡青州の門下生になり、医学を修めた。晩年、妻子を伴い、蝦夷地へ入植した。53歳。
 利三郎は思案の末、自宅近くに「閻魔堂」と称する祠を建て、閻魔大王像と地獄の検査官像を並べたうえ、二幅の「地獄絵」を掲げて、旅人に対し、
「集団で通行するように、賊に襲われたら一斉に呪文を唱えるように」と告げ、さらに、
「山道で悪さをする者は死後、必ず閻魔大王の裁きを受けるぞ。悪心を抱く者は閻魔様に謝罪せよ」と叫んだ。
 旅人たちは、山道へ入る前に閻魔堂にぬかづき、無事通れますようにと祈った。
 利三郎の作戦は見事に決まった。山道で賊が現れると旅人の集団は、口々に、
「殺したら化けて出てやる。なむあみだぶつ」などと大声で騒ぐので、相手は思わず立ちすくむ。その間に散り散りに逃げていくのだ。そのうち気味悪くなってか、賊はどこへともなく姿を消した。
 閻魔堂はお陰で大はやり。文久3年(1863)の記録によると、賽銭箱の金額は60両にものぼったという。
 閻魔大王像と検査官像はその後、明治に入り、利三郎の子孫により、教立寺に寄贈された。以来、「幸せを守る仏」として、いまも参拝人が絶えないという。安政年間に描かれたという二幅の地獄絵も凄い迫力。乞う必見。












 
2020年7月20日


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