老楼快悔 第51話 ソ連艦の大砲がこちらに

老楼快悔 第51話 ソ連艦の大砲がこちらに


 新聞記者時代はさまざまな体験をしたが、もっとも恐ろしかったのは、と問われれば、これだ、と答えられる。前号でも少し触れたソ連監視船との遭遇である。
 昭和36年8月下旬、釧路海上保安部の巡視船「つがる」に同乗して、根室沖の貝殻島周辺を回った。実は朝日新聞に「ソ連にだ捕された漁船に高校生がいた」という記事を抜かれ、歯ぎしりして悔しがっていた時、巡視船が緊急に特別パトロールに出動すると知り、頼み込んでカメラマンとともに乗せてもらったのだった。それが急展開を見せる。
 巡視船は釧路港を離れると、一路東へ向かう。根室半島沿いに逆上り、突端の納沙布岬を越えると、貝殻島の灯台が見える。先日、高校生を含む漁民らがだ捕された海域だ。
 真っ青な海で多数の漁船が操業していた。このあたりはソ連が主張する12カイリすれすれだ。巡視船がマイクで注意を呼びかけるが、「ここはおらだちの海だ」と言って応じようとしない。
 突然、「ソ連監視船現れる」と船内のスピーカーが響いた。ブリッジに駆け上がると遠く秋勇留島を背景に、黒煙を上げる1点と、小さな3つの点が見えた。12カイリを越えた漁船が捕まったと判断して、巡視船は前進した。1隻でも助けようとしたのだ。
 漁船にソ連兵が乗り込み、臨検している様子が見えた。巡視船が急接近した時、ソ連監視船に国際信号旗が上がった。旗は3枚、組み合わせて読むと「わが領海、立ち去れ」。巡視船までが領海を侵犯してしまったらしい。
 と、大砲らしきものが、ゆっくりこちらを向いたのだ。巡視船には武器はなく、抵抗もできない。相手がもし撃ち込んできたらどうなるか。船長が慌てて、後退を命じた。船は大きく旋回しながら逃げた。
 この時の複雑な心境をどう表現すべきか。だ捕された漁船をこのまま見捨てていいのか、という日本人としての義務感のようなものと、このままでは命を落とす、という切迫感や悲壮感がない交ぜになって、判断力もなにも失ってしまったように思う。
 しかし、である。これをニュースにしないでなるものか、という記者魂が頭をもたげてきた。巡視船は航海中、どこの港にも着岸してはならない。無理を承知で船を花咲沖まで戻して留め、そこからボートで花咲港に上陸して原稿を書き、根室支局を通じて本社に送稿した。
 翌日の北海道新聞朝刊社会面トップには、ソ連監視船にだ捕された3隻の漁船の記事が写真とともに掲載され、抜き返しの大スクープになった。


         貝殻島(北方領土)地図












 
2020年3月26日


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