老楼快悔 第48話 「北のお吉」が箱館にいた

老楼快悔 第48話 「北のお吉」が箱館にいた


 下田の唐人お吉はよく知られているが、箱館にもお吉のような女性がいた、と知った時は、胸を締めつけられた。女性の名は、たま。「村垣淡路守公務日記」にしばしば出てくるが、より詳細なのが文と絵でまとめた「安政五年写亜美利加来使ライス箱館応接録」(函館市立図書館蔵)だ。
 日米和親条約により箱館港が開港になり、アメリカの貿易事務官ライスがやってきた。後の領事である。ライスは浄玄寺を事務所兼宿舎にして、入港するアメリカ船に食料や飲料水を調達する仕事のかたわら、奉行所の役人と交流を深めた。
 そのうちライスは、箱館奉行の村垣範正に対して「女性を世話してほしい」と要求した。幕府に伺いをたてたが、返事がない。ライスは苛立ち、「遊女でもいい」とわめいた。奉行は「このままでは国際紛争になりかねない」と訴え、幕府はやっと重い腰を上げ、相手となる女性の人選に取りかかった。
 ライスは身長二メートルもの大男。町年寄が遊女屋経営者らと相談して、山ノ上町遊廓のたま、二一歳を選んだ。たまは箱館弁天町の豆腐屋の娘で、家計を助けるため、四〇両の前借金で身を売っていた。これを身請金一三〇両でライスの元へ引き渡されたのだった。
 だがたまは、身請けされて間もなく病にかかり、実家に引き取られる。病名はわからない。ライスはやがて箱館を去る。たまは異人と交わった女性として疎んじられ、誰にも相手にされず、針仕事で家計を支えた。
 当時、こんな戯れ歌が流行ったという。
 犬に吠えられ ライスにふられ どうせおたまは九左衛門
 父親の名前にひっかけてクサイモンと詠んだものだが、この無神経さに慄然となる。
 たまは何年か後に、年配の男性と結婚するが、その男性とも別れて、晩年は実家に戻り、明治25(1892)年に五五歳で亡くなる。
 たまの生涯はそのまま歴史のヒダに埋もれていたが、昭和初期になって称名寺の納骨堂に収められていることが判明した。だが、すでに遠い昔の話になっていた。
 たまの実家があった弁天町から山ノ上遊廓跡をたどった。眼下に函館港が広がっている。開国という荒波に揉まれて、はかなく消えていった女性の生涯を思いながら、その時代に吹く風の怖さを感ぜずにはいられなかった。


















 
2020年2月28日


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