『落ちてぞ滾つ』発刊記念 蜂谷涼先生インタビュー

『落ちてぞ滾つ』発刊記念 蜂谷涼先生インタビュー

3月22日発売の『落ちてぞ滾つ』の著者、蜂谷涼先生に
本書を書かれたときのお話をお伺いしました。



編集部 本書の構想はどのように得られたのですか?

蜂谷涼先生(以下「蜂谷」) だいぶ前に新聞記事で会津藩、最後の首席家老、梶原平馬の墓が見つかったという記事を読んだんです。その奥さんが水野貞(みずのてい)というんですけど、根室や釧路など道東のほうで女子教育に力を注いだ人で、大きな墓があるんですね。ところが旦那さんのほうのお墓は小さいんです。だけどよくよく調べたら会津藩の首席家老の墓だった。
なぜ、会津藩で首席家老まで務めた人の墓がそうなったのかなあと思ったのが発端です。【注:1988年に根室市で梶原平馬の墓がみつかった】
山川大蔵(やまかわおおくら)【注:山川浩。会津藩家老で梶原平馬の最初の妻、山川二葉の弟】とかはある意味出世していますよね。彼らも明治の新政府の中でかなり苦労したとは思います。そういう中で会津の意地を貫いた人もいたけど、そこから降りた人たちもいた。そんな降りた人たちのこと、無残な戦に敗れた人たちのその後が私は気になるんです。
 


編集部 舞台となった東雲(しののめ)藩のモデルは会津藩ですよね。わざわざこうした理由はなんですか?

蜂谷 それは迷ったんです。モデルにしている梶原平馬自体をちゃんと梶原平馬として書くのであれば、会津藩でよかったと思うんですけど、もうちょっと違うキャラクターにしたかったんです。実在の人物を書くと、それはそれでいいんだけど、遊びの部分が少なくなってしまう。実在の人物を想像で補って肉付けしてゆくのも一つの手だけれど、今回はもう少し違う人物にしたかったんです。そうすると会津藩そのものの話とは少しかけ離れてしまうから、「会津藩だろうね」って想像はつく形で名前を変えさせもらいました。登場人物を自由にさせたかったんです。
 


編集部 会津藩には以前から興味があったんですか?

蜂谷 あったんですけどそんなにくわしくは知らなくて、『蛍火』(2004年、講談社刊)を書くときに取材に行ったのが始まりです。そのときに山本八重(後に新島襄と結婚し、新島八重)を知り、首席家老の梶原平馬のことも知ったんですね。

編集部 その梶原平馬が『落ちてぞ滾つ』の登場人物、鷺沢栄之進のモデルなんですね?

蜂谷 そうです。

編集部 由津や主水(もんど)のモデルもいるんですか? 登場人物はどのように考えていくのでしょうか?

蜂谷 最初から決まっていたのは、梶原平馬をモデルにしたキャラクターと、あと碧血碑をつくった親分、柳川熊吉。それ以外は皆フィクションです。前述の二人を際立たせたり、互角に戦える人物がほしいなと思ってわいてくる。構想を練りながら、どんな人物を登場させるか、人物表のようなものを作るんです。何年に生まれてこんな性格で、といったようなプロフィールを一人ずつ作るんですけど、そのときに一人出来ると、じゃあこういう人もいたら面白いかなって芋づる式に出てくるんですね。ナギとか、ばあやのトヨなんかは面白がってるうちに出てくる。こんなのも、こんなのもみたいに。


 
編集部 柳川熊吉さんは以前から書いてみたかったんですか?

蜂谷 ええ。この人を主人公に長編を書きたいくらいなんですけど、今回は群像劇みたいにしたかったので。シリーズ的に、今回は最後の首席家老を務めた人と、それを怨みに思う由津という女性の闘いみたいなものがメインだけれど、この次は柳川熊吉をメインにしたいな、とか……。他の作品でもやっているような、グランドホテル形式というか、脇役だった人が次の話で主役になるというようなものをやりたいと思って。そのシステムが好きなんですよ。

編集部 『てけれっつのぱ』(2006年、柏艪舎刊)もそうですよね。入り組んでるところがすごく面白いです。しかも今回は、『舞灯籠』(2010年、新潮社刊)に出てきた梅乃さんも登場しますね。

蜂谷 梅乃のその後をどうしても書きたかったんですよね。また出てくるかもしれません。(笑)

 

編集部 主人公たちとご自分との共通点はどんなところですか?

蜂谷 男性にしろ女性にしろ自分の人生経験なんてたかが知れている。想像と体験しかないわけだけど、体験って言ったって限られてるから、まわりの人からヒントをもらったり、自分の中のいろいろな面、意地悪いところとか、やさしいところをバラバラにして使っている感じです。

編集部 じゃあいろいろな登場人物に自分の分身が入っているというわけですか?

蜂谷 そうですね。ほとんどは自分で、時々他人という感じですね。

 

編集部 薩長にはどういったイメージをお持ちなんですか?

蜂谷 大嫌いなわけではないんですが、たまたま軸足をどちらかといえば会津側というか、幕府側に置いていることが多いんですね。それは、致し方ないとは思っています。明治維新自体が大きなマグマが爆発したようなものだから、たまりに溜まった鬱憤みたいなことが噴火したようなものですよね。たとえば薩摩だったら、密貿易をして潤沢な資金を蓄えていながらも、地方としての鬱憤もあったと思うんです。でもわたしが、会津側に付きたくなるのは、もともと御所に火をかけたのは長州でしょう? 最後には会津が朝敵ということになったけど、そもそも朝敵は長州だった。それなのに薩摩はもともと同盟を結んでいた会津を裏切って長州に付いた。それまで長州と敵対していたのに。その後、京都で政権交代があって東に進んでいく、そのときのやり方が私はちょっと汚いなと思うところがあるから、どうしても馬鹿正直だった幕府側の人たちに肩入れしちゃうんです。ただ、相楽総三(さがら そうぞう)の赤報隊だけはいいように西郷たちに利用されたんだな、と思うところがあるので、やっぱり同情するし、あ、まっすぐな人たちだったんだな、だから折れちゃったというか、折られちゃったんだなと思う。だけど、それとて歴史の大きな歯車を動かす要因でしかないから、別に薩長が嫌いというわけではありません。

編集部 そういう真っ直ぐな人達を描いていきたいんですね?

蜂谷 そうそう、真っ直ぐなのにちょっと馬鹿だよねっていうような。判官贔屓(ほうがんびいき)みたいな感じですね。
 


編集部 次回作の構想はもう決まっているのでしょうか?

蜂谷 大体決まっています。

編集部 次回作について、少し教えていただけますか?

蜂谷 まずは柳川熊吉と熊吉の子分だった料理人の常八の話をちょっと書きたいなと思っています。今のヤクザじゃなくて、むかしの侠客の世界に惹かれてるんですよね。今回の旧幕軍の御遺体を集めて、首がはねられるのも覚悟の上で埋葬するとか、そういうのこそが侠客だと思うんですよ。

編集部 それは実話なんですよね?

蜂谷 実話です。そのシーンを思うだけで涙が出てくる。

編集部 本当に。あそこは泣きました

蜂谷 ありがとう。私も泣きそうでした。柳川熊吉のそういうところを書きたいなあと思っていたんです。彼のシーンは最初に浮かんだんです。ちょっと映画っぽいというか、絵で浮かびました。


 
編集部 本の帯にある、古今和歌集の歌「血の涙 落ちてぞ滾つ白川は 君が世までの 名にこそありけれ」から『落ちてぞ滾つ』のタイトルを取ったんですよね? 古今和歌集はずいぶん読み込まれているんですか?

蜂谷 そんなことはないんですけど、好きなんです。自分で歌を詠むことは出来ないから、ぴったり合うのがあると、タイトルにほしいなあと思ったりします。自分でタイトルを付けるとき、『てけれっつのぱ』みたいにぽんと出てくる時もあれば、悩むときもあります。今回は悩んだほうなんですね。そういうときに古今和歌集とか源氏物語なんかをぱらぱらめくって、そうするとぱっと飛び込んでくるんです。「あ、これぴったり」って。今回もどうしようかなあと悩んで、でもあんまり考えすぎると煮詰まっちゃうから、そういう時にちょっと見てみようと思って。でも源氏物語じゃないですよね、今回は。それでぱらぱらと見ていたら、これだと。

編集部 いいタイトルですよね。

蜂谷 「滾つ」って言いづらいし読みづらいんですけどね。でも、この歌が、ほんとうに血の涙を流した人たちの悔しい気持ち、川が滾り立つほどの悔しさというのが、ぴったりだと思って、出てきてくれて嬉しかった。だからこのシリーズはこれからも古今和歌集で行くのかな。でもちょっとどうかなあ、武家とかならいいけど、侠客に古今和歌集は合わないかもしれないし、また苦労するかもしれません。

編集部 タイトルはいつもご自分で考えられるんですか?

蜂谷 もちろんです。編集者と相談したというのもあるけど、基本は自分で考えます。

編集部 タイトルから入るときもありますか?

蜂谷 タイトルを仮にしたまま進めるときもありますし、タイトルから入る時もあります。なんとなくこんな話を書きたいなあと思っているときに、スコンと浮かんできて、「ああもうこれしかない」というときもあれば、最後の最後、ゲラになっても決まらないときもあります。そういう時は編集者と一緒に何本も何本も出し合って、でも結局、最初に出たものに戻ったりね。
 


編集部 今回は、かなり書き進んでから書き直されたそうですが?

蜂谷 そうなんです。視点をどうしようかというのと、あと書きすぎちゃったんですよね、篭城のときの話とかを。それで、これはちょっとと思って一回全部捨てちゃったんです。

編集部 どれぐらい書き進んでいたんですか?

蜂谷 二百枚ちかくですかね。

編集部 まったく使ってないんですか?

蜂谷 構成も全部変えたので、ほとんど使ってないです。

編集部 どうして変えようと思ったんですか?

蜂谷 最初の原稿は、由津じゃなくて、この最後の首席家老、鷺沢さんの視点で書き始めたんです。でもそうすると、どうしても自己弁護みたいになっちゃうんです。自分はなぜ処刑を逃れたか、みたいなことになると言い訳してるみたいで男らしくないんですよ。それで、これはだめだということになって、やっぱり女性の視点で書いたほうがいいのかなあと思って変えたんです。

編集部 すごい決断ですね。

蜂谷 悩んだけど、やめようと思って一日で決めました。それにこだわって、二百枚まで書いたから何とかしようとしても、煮物を失敗したみたいな感じなんですよ。もうすでにしょっぱいものにいくら砂糖を入れたって不味くなるだけみたいな。それで最初から、出汁をとるところから始めたというわけです。

編集部 一番苦労したのはやっぱりそこですか?

蜂谷 そうですね。やっぱり語り手が違うわけだから、切り取る角度も全部違ってきますからね。でも乗りはじめれば大丈夫なんです。三分の一くらいまでいけば、「よしこれでいけるな」ってわかります。
 
編集部 この作品で一番気に入っているところはどこですか?

蜂谷 梅乃と喧嘩するところです。なんか「爆発だっ!」みたいな感じで。

編集部 かなりリアルですよね。

蜂谷 どこまでやろうかなとすごく考えたんですけど、あんまりすぐに和解しちゃうと次の告白に繋がらないから、やっぱりとことんやってへとへとになるまでの方がいいと思って。でもあんまりえげつない喧嘩だと、昔の女の人だし、そこまでやるかなとか、しつこいと読者が飽きちゃうんじゃないかとかっていうのがあって、そのさじ加減は難しかったですね。でも絶対ここは喧嘩させようと思って、書いてたら面白くなっちゃいました。そこではじめて通い合うものってありますよね。暴力を賞賛しているわけじゃないんですけど、あれはやりたかったんです。女性を切り口にしたバージョンで一番気に入っているところがそこで、男性バージョンで一番気に入っているのがさっきの柳川熊吉のシーンです。


 

編集部 登場人物でお気に入りはいますか?

蜂谷 ナギのところの女中、トヨかな。

編集部 ええ、そうなんですね!? 意外な感じがします。

蜂谷 たぶん、ナギとかは書きやすいんですよ。書きやすいというか、一番自分に近いんだと思う。それで、由津は、どちらかというと、自分がなりたい人。こういう芯のしっかりした一途な人になりたいな、というのが由津で、たぶんわたしの素に近いのがナギなんです。それで、トヨみたいなお婆さんは、なんていうかクレソンみたいな感じ。

編集部 クレソンですか?

蜂谷 そうそう。ステーキでもなければチーズでもなく、ちょっと横っちょにあるクレソン。わざわざナイフで切らないで手でつまんで食べたらおいしいぞ、みたいな。そういう登場人物を出すと、すごく物語に深みというか奥行きがうまれる気がして。だから、トヨの履歴書はすごく長いの。実は息子がいるとかね。
『てけれっつぱ』のおセキばあさんに似たようなキャラだと思うんですけど。旦那さんがいなくて、実は年若いひもがいるとか。わからないけど、そういうのをどんどん書いていくと、とってもトヨっておもしろいお婆ちゃんになっていく。でも今はクレソンだから。次はクレソンが主役のクレソン鍋になるかもしれない。(笑)

編集部 それも面白そうですね。(笑)

蜂谷 そういう主役じゃないようでいて、でも魅力的なキャラがいるとすごく書きやすいというか、書いていて楽しい。トヨとナギの口げんかみたいなのはポンポン出てきちゃう。でも、あんまり出過ぎるから、ブレーキをかけないと調子にのっちゃう。書きすぎないように。

編集部 書きすぎて消してしまうこともあるんですか?

蜂谷 しょっちゅう。(笑)
 


編集部 ところで、登場人物のなかに、「坂本龍馬を殺した」と言っていた酔っ払いがいましたね。あの人はまた出てくるのですか?

蜂谷 どうしましょう? 今回は『てけれっつのぱ』みたいな連作短編じゃないから、これ自体が一話目とすると、ばらまいておきたいわけです。いろんな人を。で、次に書き始めたら、いきなりその人が木陰からひゅっと出てきたりする感じなんです。たぶん出てくるでしょうね。おもしろいでしょう、あの人。何か抱えているものがありそうで。

編集部 なんだろう、この人って感じですよね。ただの酔っ払いなのか……、それとも。

蜂谷 ただの酔っ払いにしておくには惜しいかな、と思っています。これからのお楽しみです。わたしも楽しみ。


 
編集部 由津の“東雲のおなごは一度こうと決めたら、まっしぐらに歩き続ける”というのが何度もでてきたのですが。

蜂谷 それは、女性バージョンのテーマという感じです。男性のほうは、言い訳しない、みたいな。“敗者とは言い訳しないものだ”って。敗者じゃなくても、そもそも言い訳する男はきらいなんです。格好悪いと思っちゃう。男の人は“言い訳しない”、女の人は“決めたらまっすぐ”みたいなのが、たぶん自分が憧れる男性と女性の生き方なのだと思う。

編集部 では、会津のイメージというわけではないんですね?

蜂谷 単純に、そうだったらいいな、と。


 
編集部 本書のなかで、一番言いたかったこと、込めた思いは何ですか?

蜂谷 思いやりみたいなことかな。それぞれに立場はあるし、いろいろな思いを抱えながら生きている。時にはわかり合えなかったり、誤解されることがあるかもしれない。でも、そのお互いの思いやりが最後にわかるような。それって命と命のやりとりの思いやりなんですよね。そういうことって、もしかしたら今の世の中でもあるかもしれないし、ぎりぎりの時に出せる力だったりするのかもしれない。
 


編集部 最後に読者へのメッセージをお願いします。

蜂谷 まずは……読んでください! 仮の藩だけれど、実際、幕末はやっぱり会津藩だけじゃなく、いろんな奥羽列藩同盟に入ったところ、長岡藩とかにしても甚大な被害を受けたりしているし、会津だけが最後の最後まで新政府にずいぶんいじめられたけれども、手前まで似たようなところはあったと思うんです。敗北というか、つらい目にあった敗者がいる一方で、勝者のなかでもつらい目にあった人もいると思うし。幕臣だって大量リストラと同じことだから、明治になってからとってもつらかった時期があったと思う。それが、たかだか三十八年くらい後には日露戦争で勝っちゃうわけでしょう。徳川幕府が二百六十七年続いたのが壊れたと思ったら、その七分の一くらいの期間で世界の列強と肩を並べるわけで、それってすごいことですよね。その日本の近代化の礎っていうのが明治維新だったし、多くの敗者によって成り立っているわけだから、わたしたちが今生きている生活のほぼ根っこのところが明治維新にあると思うんです。その陰にいる人々とかにちょっぴり思いを馳せてくれたらうれしいな、と思います。

 

【後記】
蜂谷涼先生のご自宅でインタビューをさせていただきました。海を見渡せる素敵なお宅で、とても気さくにインタビューに応じてくださいました。
梶原平馬のことは、ずいぶんとあたためてこられた題材だったというのが発見でした。蜂谷さん一番のお気に入りのトヨさんが、どんな人生を送ってきたのか気になりますね。インタビューをさせていただいて、『落ちてぞ滾つ』の世界がもっと身近になりました。続編も楽しみですね! 早く続きが読みたくなりました。