老楼快悔 第18話 武四郎のアイヌ民族を見る目

老楼快悔 第18話 武四郎のアイヌ民族を見る目


 北海道命名150年にちなんで、『松浦武四郎、北の大地に立つ』(北海道出版企画センター)という本を出した。この中に、武四郎がアイヌ民族に理解を示していたことを、具体的に書いた。
 武四郎は蝦夷地を巡るたびに、アイヌ民族が和人から差別や虐待を受けているのを見聞きし、幕府役人になった安政年間、箱館奉行に対して再三、改善を求めている。
 安政5年6月18日の日記は、アイヌの男性、タケアニとイタクレイとともに石狩を出立する文面だが、以下に現代文にして掲げる。

 このイタクレイは勇払から石狩に出稼ぎにきて四年間、妻子の顔を見ていない。きょうの仕事で妻子に会えると言って喜ぶ。僅か30里しか離れていないのに会わさない、その請負人の使い方が憎い。その訳をタケアニに聞くと、あるアイヌ人は石狩に行かされ、その妻は勇払の番人の妾にされた。ほかにシャリの夫をクナシリに行かせ、その留守に番人は妻を妾にして番屋に連れていく。実に憎いやり方だ。

 だが武四郎の箱館奉行に対する訴えは通らず、絶望して辞職。それから10年後に明治新政府の役人に取り立てられ、明治2年7月17日、「北加伊道」など6つの候補名を提出する。この「加伊」の文字だが、アイヌ語で「この国に生まれた人」の意。この大地はアイヌ民族のもの、と示唆したのだ。これは「地名選定之儀」の文面に見える。
 でも「カイ」という言葉は『アイヌ語辞典』にも出てこない。これは武四郎の創作と、私は判断している。武四郎は「蝦夷」の読みそのものを「カイ」と読み、アイヌ民族が互いに使っている言葉として取り上げたのだ。「海」に変えられるのを想定しつつ。
 武四郎はこんな和歌も残している。

 おのづから をしへにかなふ 蝦夷人(えみしら)が
  こころにはぢよ みやこかた人

 をしへは教え、以下は、心に恥よ 都かた人、と続く。文化の中心地である京都の人たちに、「心に恥よ」と突きつけた武四郎の筆に、人間平等を迫る険しい刃を感じる。聲




 
2019年4月26日


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